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日本はチベットから多くのことを学ぶことができる。優れた精神文化や深い歴史からだけではなく、中国に支配された経緯と命がけの抵抗運動から、我々が多くのことを学ぶべきだ。チベットが自由になるということは、日本が自由になるということだ。――このサイトの趣旨にご賛同いただける方は、サイト内の文章をご自由にご利用ください
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http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/32/ の続き

ダライ・ラマ法王の次兄ギャロ・トゥンドゥプ閣下

テーマ「チベットの現在・過去・未来」
通訳 委員会代表幹事ペマ・ギャルポ氏

ダライ・ラマ法王の次兄・ギャロ・トゥンドゥプ閣下(右)と通訳の政治学者ペマ・ギャルポ教授
ダライ・ラマ法王の次兄・ギャロ・トゥンドゥプ閣下(右)と通訳の政治学者ペマ・ギャルポ教授
 

足が悪く座らせていただきます。申し訳ございません。
紳士淑女の皆様、今回私は特に皆様にお会いするために、まいりました。
私が今回日本にきたのは、チベットのために100人委員会が発足されるということを聞きまして、老体ではありますが、参上いたしました。そしてみなさんに心から感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。

なぜなら、私たちは、ダライラマ13世のときから、日本と繋がりがありました。1950年代以降も、ダライラマ法王は何度か訪日し、お世話になっております。
日本は距離的には遠い国ですが、我々チベット人は、日本は非常に重要な国で、極めて近い存在だと思っています。
なぜかというと、日本の皆様、国民は高い教養を持ち、中国のこと、アジアのことを、日本が一番よく知っているからです。

この五十数年間、残念ながら、いろいろと悲しい出来事が起きました。そのため、約10万人のチベット人が、1959年インドに難民として亡命しました。
ダライラマ法王のご指導のもとで、難民の子供に対する教育、高齢者の福祉、僧、尼僧たちのお寺や住居をなんとかして、まとめて束ねていく仕事を一緒にやってまいりました。
私どもはこの50年間の難民生活で、まず子供たちに教育を与えてきました。幸いにして多くの人たちが教育を受け、十分に期待に応えてくれています。同時にチベットの文化、宗教、伝統を維持し、それをさらに自分たちが研修するということに力を入れてまいりました。おかげさまでこういうことも何とかできています。

チベットにいようが、海外にいようが、全てのチベット人が共通して思っていることは、「正義はチベットにある」「私たちの方に真実がある」ということです。

1959年から79年までの20年間、チベット国内と国外のチベット人は接触することはできず、中国によって完全に閉鎖されておりました。中国政府が完全に国境を封鎖し、チベット人が中に入ることも、中から外へ出ることもできなくなりました。
その20年間、私たち海外にいるチベット人は、国内の人たちが本当はどうなっているのか、自分の兄弟や親がどういう風に生活しているのか、生きているのかどうかもわかりませんでした。中にいる人たちは、本当に自分の兄弟、夫、子供が外国に逃げることができたのか、生きているかどうかすらわからない状態でありました。

そして1979年、中国の指導者鄧小平が私を探しているということを、香港で知りました。鄧小平は、私に会いにきてほしい、ということでした。そのことをダライラマ法王に報告しましたところ、法王は、行った方がいい、行きなさいとおっしゃいましたので、私は法王の命を受けて、鄧小平に会いに中国に行きました。1979年、鄧小平と北京で会いました。

そのとき鄧小平は「過去のことは過去のこととして忘れましょう、私たちも非常に苦労したし、チベットの人たちも苦労している。私自身も刑務所に入りました」と言いました。そのまわりにいた人たちも刑務所に入ったと言っていました。これからは未来が大事であり、そのために、できるだけ近いうちにダライラマ法王に中国に来ていただき、チベットに帰っていただくことが非常に大事である、と彼はおっしゃいました。
チベットが中国から完全に独立する、ということを支持するのは極めて難しい、しかし、独立以外であれば何でも話し合う用意がある、ということを鄧小平は私に約束しました。
鄧小平は「この場で交渉に入りましょう、この場で私に要求を出してください」と言いました。そのとき、私は「私はあなたから招待を受けて、ダライラマ法王の許可をとって参ったのであって、決してあなたと交渉する権限をもってきたのではありません」ということを申し上げました。
「もちろん今日ここで閣下から伺ったすべてのことについて、私は帰ってからダライラマ法王に正確にご報告申し上げます」ということも約束しました。

しかし、私個人として、2,3のお願いがあります、ということを言いました。私からの第一の要望は個人的なものでありますが、過去20年間、海外にいるチベットの人たちは、自分の親兄弟親戚が国内で健在であるかどうか、生きているかどうか、ということがまったくわからないので、どうか国内と国外にいる人たちが、お互いに親族と再会する機会を与えてもらいたい、そして海外にいる人たちが親族に会いに行く、中にいる人たちが外に出る許可を出してほしい、ということを言いました。
家族の再開、それが私の第一の要望でした。

それに対して鄧小平は「この場で決めます。この場で私が指示を出して、国境を開き、外にいるチベット人が国内にいる親戚を訪問すること、国内の人たちが国外に行くこと、両方を許可するようにしましょう。私は今この場で指示を出します」と言いました。

二番目に、今、チベット国内では、学校でチベット語を教えられる先生がいない、学校では完全にチベット語を教えていない、ですから、海外にいるチベットの若者は、ダライラマ法王のもとで、幸いなことに、現在教員の資格をもっている人たちがたくさんいる、その若者たちの中から、学校の先生を国内に送りたい、そのことを認めてもらいたい、ということを要求しました。

それに対しても鄧小平は、「非常によいご提案です。何名送っていただけますか」と言いました。私は、最初のうちは2,30名、そして徐々に増やしていきたい、と言いましたが、鄧小平には「それは少なすぎる。どうせなら千人送ってください」と言われました。鄧小平は付け加えて、「確かに、チベットでは先生が足りない。いわゆる少数民族の学校でも先生が足りないので、できるだけたくさん送ってきてください」と言いました。

三番目として、パンチェンラマが文革前、文革中、そして現在もひどい扱いを受けている、ということを言いました。これは決して正当なことではないので、できるだけ早いうちにパンチェンラマの地位を回復し、パンチェンラマを正当に扱ってほしい、と言いました。
これに対しても鄧小平は、「確かにパンチェンラマは非常に苦労を味わいました。ただちにパンチェンラマに元の職、政治きょうしょ?副主席の地位を回復させます」と言いました。

その会話を通して、彼が私に言ったのは、「ダライラマ法王は非常に重要な方であり、一日も早く帰ってきてほしい」それと同時に、チベット問題に関して、「独立以外は何でも話す用意がある」ということを非常に強調されました。
そのときに私は「よくわかりました。今回おっしゃったことはすべて法王に報告します」と約束して、その後さらに約3週間北京に滞在して、帰りました。
帰ってから、すべてをダライラマ法王に報告しました。

これが一つのきっかけとなって、海外にいるチベット人が、国内にいる自分たちの親戚を訪問したり、国内からも海外の親戚を訪問することが始まりましたし、ダライラマ法王の代表団と北京政府の接触もここからはじまったわけです。

それから数年はダライラマ法王からもいくつかの代表団が派遣されましたし、民間のレベルでも国内から外に出る人もたくさんいましたし、外からもたくさん国内に入りました。

それ以来、ダライラマ法王の代表団と北京政府の対話、接触が今日まで続けられており、私自身もあの年から欠かさず今まで28年間北京政府と接触しております。
それはなぜかというと、今チベットにとって問題のある相手は中国政府であり、中国国民がそれを理解することが極めて重要であるからです。

この28年間、紆余曲折がありました。大変な困難もありました。しかし私たちは忍耐をもって今日も接触を続けています。
特に今年は大きな出来事がありました。今年の出来事によって様々な誤解も生じています。

中国側はダライラマ法王の白い帽子を黒く塗っています。
それは決して真実ではありません。
決してダライラマ法王は彼らが言っているようなことではなく、平和的に問題を解決するためにあらゆる努力を続けています。

もちろん海外にいるチベット人の多くはデモをしたり声をあげたりしています。中国政府の方は、私たちがオリンピックを破壊する、邪魔をするのではないか、と言っていますが、そのような気持も計画もまったくありません。
ダライラマ法王も私も北京五輪が正しく行われることを期待しています。

みなさんお忙しい方ですからあまり細かいことを言うのは止めますけれど、このチベット問題は非常に複雑だし、また難しいですが、今日こうやって新しい会を発足していただき、そしてみなさんがこうして集まってくれることが非常に重要であるという認識をもち、私はとても感謝しております。

なぜかというとまず一つは日本は、チベットはもちろん中央アジア、東アジアのことを一番よく知っているはずの国だからです。
アジアの中で中国のことチベットのこと、中央アジアのことを一番よく知っている国の一つが日本だと思っています。

こうやってみなさんが100人委員会に参加してくださり、きょうこのシンポジウムに来ていただいたわけですが、できるだけチベットにきていただき、インドにきてダライラマ法王に会っていただき、自分で真実を知っていただければ幸いです。

私たちチベット人は人口的には少ないです。ですから大した力もありません。また知恵も足りません。しかし、正義だけはチベット側にあります。

1945年当時、毛沢東が支配していた時代ですが、私は中国に留学し、今日まで60年間ずっと中国と接してきています。
もちろんアジアの国はすべて重要ですが、その中でも日本は非常に大きな役割をもっている重要な国だと思います。
アジアの平和と安定のために、日本はもっと積極的な関わりを持ち、中国とも積極的な関わりをもつことが大事だと思っています。

ですから私は直接みなさんにこの問題を訴え、ぜひともみなさんに私たちを支援し続けていただきたいということを申し上げに参りました。
本当にありがとうございました。


質問者1

遠いところからお越しいただきありがとうございました。
皆様人権の問題で非常に苦労されているということがよくわかりました。そして民族が痛めつけられている。今チベットで中国人が800万人でチベット人が600万人だと聞いております。中国は53の民族からなっているので、ソ連が崩壊したように、個人的にはそういうことが起きるのではないかと思っているのですが、このへんはいかがお思いですか。
また、胡錦涛さんはチベットで大活躍して出世コースに乗ったと聞いておりますが、あの国ですから虐殺があったのだと思いますが、非常に苦労があったのだと思いますが、言える範囲でお答えいただければありがたいと思います。


ギャロ・トゥンドゥプ閣下の回答

確かにチベットは人口は少ないですが、広大な土地をもっています。四川省、雲南省、青海省など、これらの地域で過去約50年間においてたくさんの中国人が入っていることは事実です。しかし具体的な人数については把握しておりません。

胡錦涛がチベットで大手を振って、それが認められて、今日の地位を手に入れたのではないか、という憶測については、私は違うと思います。たくさんの人たちを殺したり、たくさんの人を獄中に入れたけれども、それは上から命令がなければ、彼であってもできるような社会ではありません。

私は胡錦涛と会ったことがあります。鄧小平が生きているときに、鄧小平から「一回胡錦涛と会ってくれ。その人物評を自分に聞かせてほしい」と言われて、会いました。私は4時間ぐらい胡錦涛と話をしました。そのとき彼はまだ中央政府の役職にはありませんでした。
そのすぐ後に、鄧小平から密使が来て、私に、あなたの胡錦涛の感想はどうだったか、と聞かれました。そのとき私が使いに、「鄧小平に申し上げてください。もし胡錦涛のような人間があと数十名いたら、中国の問題はかなり片付くのではないか」ということを言いました。

ソ連で起きたようなことが中国でも起きるのではないか、ということについては、私は予言者ではないので、ここではお答えできません。
ただ逆にいうと、この21世紀は科学の時代と言われておりますが、瞬時に物事が変わってきておりますので、何が起きるかまったくわからないです。

質問者2
私は20年ぐらい前からチベットの歴史や文化に関心をもっているが、チベットの国内でここ半世紀において、中国共産党支配によって、吐蕃王国の時代からの古い歴史、文化、信仰などについての民族意識的なものがなくなってきているのではないか、と危惧している。欧米、日本でチベットの人権問題、自治問題に積極的に応援していってもチベットの中の人がそういう意識をもたないと、なかなか共産党に対抗しうる自治を成立させるのが難しいのではないか。私も一回チベットに行ったが、ラサとシガツェしか行ってない。地方がどうなっているかということもわからない。パンチェンラマも共産党系になっているが、そういう指導する人がいるのか、民族意識はどうなっているのか。ただ生活が苦しいとか弾圧されているので運動するだけでなくて、チベット民族としての民族意識、歴史認識の大切さをどの程度チベット人たちが思っているか。


ギャロ・トゥンドゥプ閣下の回答
チベットに何度かいらっしゃっていただいて、もうちょっとチベットのことを深く見ていただければ、あなたのお考えが変わると思います。もちろんチベットでも大きな変革が起きております。
確かに変化の中においては、空港ができたり、鉄道ができたり、道路ができたりしています。私が7才半のときに生まれたアムドからラサまで行きましたが、3カ月かかりました。
そのような変化の中で、一部考え方が変わってきているのは事実でしょう。
チベット人はあまり多く語らない民族です。心のあるものはそう簡単にしゃべりません。チベットに一回来て、民族意識がないと思ったら、それは間違いです。何度か行ってみてください。


http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/34/ へ続く

 






 

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