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日本はチベットから多くのことを学ぶことができる。優れた精神文化や深い歴史からだけではなく、中国に支配された経緯と命がけの抵抗運動から、我々が多くのことを学ぶべきだ。チベットが自由になるということは、日本が自由になるということだ。――このサイトの趣旨にご賛同いただける方は、サイト内の文章をご自由にご利用ください
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今日、両国国技館で行われた、

ダライ・ラマ法王来日講演
心の本質は光
よみがえれ 美しき日本の心
めざそう 世界貢献

を聞いてきました。内容をご紹介します。私のメモ書きがが、翻訳された方の流暢な日本語の速度に追いつけず、走り書きで読めない部分も多かったので、表現がおかしい、あるいは不正確なところもありますが、それは私のせいです。とくに光明の心のお話の部分はかなりメモが抜けています。正確な法王のご発言については、いずれ発売されるDVDをご覧下さい。

 



皆様お忙しいのに、私の話を聞くことが大切だと考えて、お越しいただいてありがとうございます。

私が特別な人間で、特別な力があり、特別なことを教えてもらえると思っている方、それは違います。私にはそんな力はありません。
私にある種の超能力、ヒーリングパワーがあると思って来た方がいるかもしれませんが、私はそのようなパワーの存在には懐疑的です。そんなパワーがもっている方がいるのなら、私は手術などせずに胆石をとってほしかった。でも、そんなことは不可能でナンセンスでしょう。
分析して根拠のあるもの、証拠に裏付けられたものだけを受け入れなければなりません。

釈迦尊自身、人は教えを選択して受け入れる権利があると語っています。
教えを眼暗滅法信じるのではなく、正しいと思ったことを信じるということです。

実際に、ある種の人は、超能力があると言って、人を騙します。気をつけるべきです。

私ははっきり言えば、ただ一人の人間であり、一人の仏教徒であり、釈迦の弟子の一人でしかありません。ごく一般の常識に基づいて、お話ししています。

今日は3つのセクションのお話をします。

1.世俗の倫理観―日常の次元のお話です。
2.心の本質―仏教的概念に基づいてお話しします。
3.質疑応答


すべての命は、二つのレベル(物質的・精神的)の幸せと苦しみがあります。そして幸せを求めない人はいません。物質的にはある程度のレベルに達しているが、それでも貧乏は存在する。悲しいことだが、社会的貧富、国家間の貧富の差がある。貧しい人は弱い立場に立たされる。
きのう九州の女子高で、バングラディシュから来た生徒が、「日本にいると誰もが幸せで、そんな日が、明日も、その次の日も続くと考えてしまいます。でも、国に帰ったとき、4才の女の子が私に物乞いをしてきました」と話していました。

日本は物質的向上はめざましく、今日と同じように明日がくると思っています。
しかし、多くの人が精神的な問題を抱えています。落胆、自殺、心に病を抱えた人がますます増えています。
物だけでは人間は幸せにはなれません。
肉体的には快適でも、精神的に快適な生活は得られるとは限りません。

私たちは様々な精神的困難に直面した場合、精神的レベルで解決すべきです。物質では解決しません。

ある物質に、ある種の物質を与えることで、物質は変化します。
色にしても植物にしてもそうです。

精神についても同じことが言えます。
心配事をなくすには、なぐさめを与えるような考えを取り込むことです。
様々な感情は物質では変えられません。
ある種の感情を軽減する場合、相対する心をはぐくむことです。
憎しみの心は、「憎しみがなくなりますように」とお祈りしても、瞑想してもなくなりません。
優しい思いやりの心をはぐくむことで、憎しみを減らすことができます。

恐れ、恐怖は勝手にはなくなりません。
その相手に信頼感をもつことで、恐れるにたるものではないことが理解できます。
厭世的な考えは、楽天的な考えで取り除くことができます。

大切なことは、何事も調べてみることです。
健康の場合、何が健康に役立つのか調べて、役立つと思うものを取り入れることです。
そして、害すると思うものはとらないことです。

同じように、精神についても調査しなければなりません。
どういう感情が役に立ち、どういう感情が損なうのか、ということをです。

慈悲、愛、平穏、平和は、心の健康が維持されます。
怒り、憎しみ、嫉妬、恐怖は、心の健康を害します。

「慈悲心をはぐくむことは身体によい」ということは科学で明らかになっています。免疫機能が高まるのです。逆に、怒りや憎しみは、免疫機能を低下させます。

心の平和と肉体的健康を維持するのに、慈悲心は大きな影響を持っています。

これらのことは、宗教的な観念ではなく、日常生活を分析すればわかることです。

怒りや憎しみは、ある程度は、生き延びるために必要なものです。生存の妨げとなるものを排除するために、生物学的にある程度は必要です。

怒りは、嫌なものを排除しようという機能を発揮しますが、極端にそれが強くなると、危険をもたらします。
現実を現実的な眼で見ることができなくなるのです。

「敵」と言われるものは、永遠の敵ではありません。すべての感情は不変ではありません。
破壊的感情も永遠に存在するわけではありません。
極端な破壊的感情により、非現実的なもののとらえ方をして、非現実的な行動をしてしまいます。
ですから、怒りなどの破壊的感情の限度を理解しなければなりません。

2,3年前にストックホルムで80代の米国人の心理学者からお話を聞きました。
人間の心が完全に、怒りや憎しみに支配された場合、多くのものを悪く認識してしまうが、実際はその90%は誇張だと言います。

仏教経典にも同じことが書かれています。「破壊的感情により正しい心の働きが阻害され、すべてが誇張される」と書かれています。

朝起きたとき、今日1日平和に過ごしたいと、皆が思っています。しかし現実には次々と悪いことが起きます。
私たちにはリアリティーの把握が欠けています。破壊的感情が、現実を誇張し、現実を見えなくしています。
たった一つの角度からしか対象物を見ていないのに、正しく理解していると思っているのです。

あらゆる物は相対的な存在です。
人差し指と中指と薬指を見ると、中指が長いと考えますが、これは相対的な判断です。

すべての善し悪しは相対的なものです。
現実を正しく把握するには、あらゆる角度から見ることです。
そうすると実際の姿を現実的に捉えることができます。
そして、現実的アプローチをとることで、正しい解決ができます。
間違った現実認識では、正しい解決ができません。

私自身、最近、胆石の手術をしました。手術は複雑なものとなり、普通は20分ぐらいですむのですが、3時間ぐらいかかりました。しかし、快復はとても早く、担当医は非常に驚いていました。

自分は特別なのかなと思いましたが、精神の状態が平穏なので快復が早かったのでしょう。そのような精神的状態は免疫機能、快復機能に大きく役立ちます。私自身の体験から、そのことは保証できます。

皆さんも慈悲の心を持続的にもち、心のバランスがとれれば、平穏で静かになり、ストレス、不安、心配がどんどん減少していきます。
精神安定剤を摂る必要もなくなり、その人の人生も幸せになっていくでしょう。
すべての変化は個人から作り出されます。一人の人間が幸せになれば、家庭が平和になり、国、世界が平和になるでしょう。

私たちは愛と慈悲の心の種をもっています。
それは生きるために必要だからです。

新生児は母と接触する時間が多いと、脳の発達がすばらしいそうです。母の愛情に包まれることが、脳の発達に大切だということは科学的に証明されています。
肉体的だけではなく、愛情に包まれた家庭に育てば、優しい人に育ち、幸せな人生を歩めます。
物質的裕福さより、愛情に恵まれることが重要です。

我々はすべて母から生まれたのですから、本来的に愛と慈悲の心を持っていることは確かです。
ですから、他の人に対する愛と慈悲の心を持ってください。

心について。

仏教や古代インド哲学で詳しく説明されています。
意識には6種類ありあます。五感と意識作用です。
心の感情がどのように機能するのかということが、細かく分類されています。

主な心の意識は中立的です。
他の意識により、よい感情に変わったり、破壊的感情になります。
一人の人が、ある対象物を見ているとき、愛と怒りを同時に持つことはできません。
しかし、ある時には愛を、ある時には怒りを持つことはできます。
普段は中立的な意識が、愛や憎しみが生じたときに、そちらに変わります。

「光明の心」というのは私たちの心の本質です。光り輝くような心です。
それを土台として、感情が表だって出てきます。
光明の心は水のようなもので、コップ1杯の泥水の中には、清んだ水は存在しますが、一時的に泥が混じっています。光り輝く清らかな心の本質は常にそこに存在しています。

 


【管理人註】
質問は5人が質問し、一人はモンゴル人の女性で英語で直接対話されていた。
二人目の質問者は柔道北京五輪金メダリストの石井選手だった。その質疑だけ再現します。

石井選手
自分は大きな転機にさしかかっていて、自分の中ではどうしてよいかわからない状況にあります。いろんな人がアドバイスをしてくれますが、最後は自分が決めた方がよいのか、長いものに巻かれた方がよいのか、どちらだと思いますか?

ダライ・ラマ法王
たくさんの方からアイデアを取り入れるのも大切ですが、仏教の考えでは、究極的には自分で分析して、考えて、判断することが大切です。自分で判断された方がよいでしょう。

【管理人コメント】
開演が少し遅れて2時15分くらいから始まり、4時40分頃に終了した。
来場者の男女比は1:6ぐらいで圧倒的に女性の方が多かった。ダライ・ラマの包容力が大きさが女性に圧倒的な支持を得ている理由だと思う。ダライラマ法王はいままで映像でしか拝見したことはなかったが、これまで見てきた通りの、とても茶目っ気のある方で、何度も会場から笑いを誘っていた。
最後に花束贈呈があり、早稲田大学の石濱教授、松原仁議員、民主党の牧野聖修氏、下村満子氏などが法王に花束を贈呈していた。
そういえば、朝日ニュースターの「パックインジャーナル」という番組で、下村満子氏がチベット問題を熱く語っていたことがあったのを思い出した。司会の愛川欣也氏には流されていたが、彼女はチベット問題には相当熱心なようだ。

ダライラマ法王の「物事を多角的に捉えて現実を正確に認識しなければ、正しい行動はできない」というご発言は、開演前に会場で読んでいた「諸君!」の西尾幹二氏の発言と同様だったので、印象的だった。西尾氏は「雑誌ジャーナリズムよ、衰退の根源を直視せよ」で、西尾氏の皇室に対する問題提起に対して、皇室自由派と皇室伝統派から非難されたが、どちらも東宮家の危機という現実を一切見ず、絵に描いたようなわかりやすい固定観念に執着している、彼らにとって現実はどうでもよく、自分たちの観念や信念が大切なのだ、と指摘していた。
ダライ・ラマ法王のご説明は、極めて常識的な内容で、反論する人はまずいないと思うが、その極めて当たり前なことを再認識する機会を与えていただいたことを感謝したいと思う。
自分の身の回りのことや関心のあることに法王のお話を当てはめて考えてみると、世界が違って見えてくると思う。
それにしても石井選手、二週間の間に、天皇陛下とダライ・ラマ法王からお言葉をいただくとは。そういう人はこれまでいなかったかもしれない。
マスコミの注目の的である石井選手がダライ・ラマ法王に、注目されている話題について質問したのだから、大きく取り上げてくれればいいのだけれども……。

最後に豆知識。国士舘の舘旗とチベット旗はちょと似てる。
国士舘はチベット問題について学生にどのように教育しているのだろうか。
http://bbs.avi.jp/photo/66649/7400534


 ダライ・ラマ14世:石井慧選手が進路選択を相談
http://mainichi.jp/select/today/news/20081107k0000m040081000c.html
 

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以下は、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所発行の「チベット半世紀の苦難-3月10日『チベット蜂起記念日』特集」に掲載された、チベット人青年の手記(2008年5月18日付)の抜粋である。
(7月のチベットを救え!アジアパシフィックフォーラムのときにタダでもらったもの)



(3月、)100人ほどの兵士が私の家に乱入してきた。5つのドアを壊し、あらゆる物を物色した。投げ捨てられた物が床に散乱した。彼らはそこに居合わせた人間を誰彼構わず殴った。彼らは小銃を構えていて、とても乱暴だった。私は逮捕され、両手の親指を後ろ手に固く縛られて連行された。余りひどくきつく縛られたせいで、未だに周囲が麻痺している。

頭を何度も殴られ、殺されるのかと思った。骨が折れても不思議ではないくらい殴られた。しかし彼らは私を殺さずに、収容所に連行した。
1日に与えられた食べ物は蒸した饅頭半分のみ。投獄されていた誰もが水を欲しがり、多くの者が自分の小水で渇きをしのいだ。
衣類も毛布も寝具も何もなかった。コンクリートの床があるだけだった。とても寒かった。

本当にひどかった。ひどい話をたくさん聞いた。腕や足の骨を折られたり、発砲され負傷したものが大勢いた。まったく恐ろしい光景だ。21世紀に生きているとはとても思えない。銃で4回も撃たれた少年がいた。肋骨を折られた人もいた。一人の男性は右目を殴られて内出血して顔が腫れ上がっていた。とにかくひどいんだ。歯を折られたり、ほかにもいろいろだ。本当に恐ろしい目にあったんだ。

食べ物がなかったのはつらかった。ひどい空腹のために人がばたばた倒れた。

私は直接見たわけではないが、トゥルンでは数人の僧侶の頭に布袋が被されていた、と友人らが言っていた。僧侶たちはどこかに連行されたまま戻ってはこなかった。殺されてしまったのかもしれない。

私が会った65才の男性は肋骨を2本折られていて上半身が曲がった状態でうずくまっていた。まっすぐに出来ないんだ。瀕死の状態だった。

ある姉弟は、突然寝ているところを兵士たちに襲われた。兵士はまるで物みたいに彼らを窓から建物の外に放り投げたんだ。弟の方は即死だった。姉は死ななかった。横たわる彼女に兵士らは座ることを強要した。弟の遺体はどこかに移され、姉はこの出来事を口外するなと命令された。これらはほんの一例で、こんな話がいっぱいあるんだ。

何もしていない人たちも尋問を受けた。何もしていなくてもチベット人であるというだけで有罪になった。未だに居所のわからない者が大勢いる。

真新しいジャケットを身につけた男性がいたが、彼はジャケットを剥ぎ取られて殴り殺された。このジャケットは盗んだに違いない、と言われて。そうなんだ、新品のジャケットを着ていたために、彼は殺されたんだ。

高校生も大勢いた。17才の学生は3月14日の抗議行動には参加していなかったが、拷問を受けた。彼は服を脱がされ手を縛られて、荷車で轢かれた。ありとあらゆる拷問がある。後で彼が言っていたが、やってもいないことを強制的に自白させられたらしい。多くの人がそうやって、嘘の自白を強要されるんだ。収容所で死んだ人を目にすることはなかったが、「死人が出た」と公安や兵士が叫ぶ声を毎日聞いた。
ある日「何人ぐらいチベット人が逮捕されたか」という問いに対して、ある中国人が、1万人弱だろう、と答えるのを聞いた。

兵士らの僧侶の扱いは格段にひどい。デルゲ県の僧侶は指が湾曲していたうえ、片目が完全に失明していた。我々なんかよりももっとひどい拷問を受けたんだ。本当にどうして僧侶たちに、あんなにひどい仕打ちをするのかわからない。ひどすぎる。

もうこれ以上我慢は出来ない。人は寛容であるべきだが、これ以上寛容にはなれない。
我々に人権はない。ここにあるのは文化的ジェノサイドだ。

監禁されている時に何度か食べ物の夢を見て、家の食事のことを思い出した。母と姉の作る食事。匂いまで思い出した。その時、家の食事のおいしさを、本当にありがたいと思った。食事を終えて、「まあまあだったね」なんてよく言ってたけれど、本当はとてもおいしかったんだ。

こんなに残酷で悲惨な経験をしたことはなかったけれど、それでもそこから学ぶことはある。よりよい人間になることができる。

チベット人がどんどん減っていくのがとても心配だ。多くの人たちが命を落とし、そうでなければ手足を折られて不自由な体にさせられている。ひどいことだ。私がそうだったように、(今も)逮捕されて監禁されている人たちもいる。収容所に監禁されている人たちのことは、決して頭から離れない。

あのひどい状況……わずか16,17才の若者が終始泣き叫んでいるんだ。悲惨だ。
手を折られた人たち、銃弾で傷ついた人々……彼らの青白い顔……
悲しみで胸が張り裂けそうだ。

2008年5月19日



この手記が書かれた少し前に、胡錦涛が来日し、早稲田大学で卓球少女愛ちゃんと胡錦涛が楽しく卓球に興じ、それを我が国の首相が満面の笑みで暖かく見守っていた。その構図を、マスコミが大きく報じ、日中友好ムードが演出されていた時も、チベットでは、この手記に書かれているような、残酷な状況があちこちで起きていたはずだ。


満面の笑みの愛ちゃんと胡錦涛
愛ちゃんと胡錦涛。楽しそうですね。
 

北京五輪開幕直前の、テレビ局のアナウンサーやコメンテーターの、期待に声を弾ませるような調子の放送を見るたびに、今もチベットでは…と思ってしまう。

きのうの開会式はとても見る気にはなれなかったが、1時頃テレビをつけたら、まだ開会式をやっていた。このバカ騒ぎの裏側で、非人間的な行為が今も行われている。情報がなくとも、少しの想像力があれば、それは理解できるだろう。理解できれば、テレビで垂れ流されるあの浮ついた態度は、人間として恥ずかしくてできないはずだ。

今日の六本木のチベットデモは忙しくて参加しないつもりだったが、五輪の開会式をチラッと見て、ここで紹介した青年の証言を読み直し、気が変わった。それについては次回報告。


関連ページ

チベット亡命政府発表 チベットからのレポート(2008年3月)
チベットの女性と子供の人権
抗議行動を行って殺されたチベット人


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代表幹事ペマ・ギャルポ氏の閉会の挨拶

どうもみなさんありがとうございました。
今日はまだ会場に本来であれば壇上でお話をいただきたい方がたくさんいらっしゃいます。しかし時間の関係でそういう先生方を十分にご紹介もできないことをお許しいただきたいと思います。
会場の都合でどうしても8時半までに終了して9時には会場を返さなければならないもので。
ただ、きょうこの歴史的な会に来てくださったことは決して忘れませんし、またそういう先生方に発言していただく機会も、これから多くできると思います。

内々の人にお礼を言ってはいけないんですが、私にとっては特に発足会の記念講演にギャロ・トゥンドゥプ殿下が来てくださったことをとても嬉しく思っています。
ギャロ・トゥンドゥプ殿下は鄧小平との対話以後の話しか伝えませんでしたが、チベット人だったら誰でも知っていますが、ダライ・ラマ法王がチベットから脱出できたのも、チベットの人たちが、勝ちはしなかったけれども負けてもいない、20年間のゲリラ活動をやって中国に抵抗したのも、すべてギャロ・トゥンドゥプ殿下の働きがあったということを、私は誇りに思っております。
殿下は、「ペマは嘘つきだ、戦ったのはチベット人民だ」とよくおっしゃるんです。それと同時に私を日本に派遣したのも、ギャロ・トゥンドゥプ殿下であります。
まだ13才のときに、「おまえ、日本に行け」ということで日本に来ることになったわけです。私も殿下の命令に従って、日本に来て、こういう会をできるのも、本当に殿下の先見性、そして日本の皆様のおかげだと思って、心から感謝しております。本当にありがとうございます。

今や日本において、かつ世界各国同様にたくさんのチベット支援の会ができました。もちろんそれぞれの会に素晴らしい役割があります。この会がなぜ、たくさん会があるにもかかわらず、作らなければならなかったのか。世界各国の議会においてチベット問題に対する決議がたくさん採択されました。しかし日本は先進8カ国の一員であり、アジアのリーダーを自称しているにもかかわらず、まだそのような決議が採択されておりません。
ですからこの会の当分の間の目的の一つは、まず地方議会からでもいいですので、チベット問題に関する決議が採択されるように努力していきたい、これが今後の第1の役割として、目的としていきたいと思っております。

そして第2に、現在、ダライラマ法王と北京政府の話し合いで、どうやら北京政府はただ時間稼ぎのため、そして世論操作のための話しかしていないので、この日本からもいろんな段階において政府にも働きかけて、ダライラマ法王と北京政府の対話を意味のある対話にするように、あらゆる意味での圧力をかけていくための活動をしたい、ということを第2の目的にしたいと思っております。

そして第3の目的は、今日皆さんに資料として配付していますが、できれば皆さん一人一人が、チベットについての講師となり、チベットについて話せるようになるために、この会ができるだけ信用度の高い、そしてできるだけ早く、皆様にチベットで何が起きているか、そしてチベットの方が多少知られていますけれど、同じような運命にあるウイグルやモンゴルで何が起きているか、という情報をできるだけみなさんに順次伝えられるようにしたい、と思っております。

ただそのためには、人材と多少の財力も必要ですので、いろいろな方にご迷惑をかけるかもしれませんが、これを当分の目的にしたいと思っています。

そして今回先生方に、このような会を作りたいということを申し上げましたところ、本当に、櫻井先生をはじめ、今日来てくださった先生方、メッセージを送ってくださった安倍先生、それから会場に今まで残ってくださった衛藤先生をはじめ、そして私が子供のときからお世話になっている加瀬先生、今日は風邪をめされてこれなかったんですけれども、この会の代表顧問になってくださった、小田村四郎先生にも感謝したいと思います。
同時に先生方に対して、この2年間ぐらいは私が責任をもって事務局をやります、と、2年間は私が事務局を担当して、代表幹事としてやることになりました。しかしそれまでにチベット問題を解決できれば、あるいはそれまでに、先ほどどなたかおっしゃったように、ロシアで起きたように、中国も同じような運命になったら、もちろんこの会が必要なくなってくるわけですが、もし2年でそういうことにならなかったら、どなたかにバトンタッチしてやるか、継続するかですけれども、とりあえず2年間、私ががんばって事務局をやり、そして小林先生に補佐していただき、広報などについては西村さんもご協力してくださります。

それから何よりも今日会場で受付をやっている人や皆さんのお世話をしているのが、私の塾生、私の大学院生、そしてチベットの留学生であります。
特に塾生に関しては、今日お花を戴きました室舘(勲)さん、この人もなかなかの志士でありまして、毎年2、300名の若者を連れて靖国参拝をしている青年で、そういう人たちに今回手伝ってもらいました。
このような会の裏方の方々にも心から感謝申し上げます。

そして正直言って、この会場に入るまで、今日何名来てくださるかということが一番心配だったのであります。ですので、この会場にみなさんにきていらして、やっとせっかく来ていただいた殿下に、私も自信をもって「殿下!これが日本です」と言えました。まあ私は2年前から日本国籍になりましたので、やっぱり日本人としての多少の面子もありましたので、皆さんがそれを裏切らなかったということに対しても感謝したいと思います。

今日皆さんに資料として配布できなかったのですが、ダライラマ法王が福田首相宛に出した手紙のコピーが今日、代表部がこれに間に合うように一生懸命翻訳をして、先ほど事務局の方から、ダライラマ法王代表部の方から持ってきましたので、よろしければ帰りにもっていっていただきたいと思います。

チベット亡命政府議会から
福田康夫日本国内閣総理大臣へのアピールレター
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080728_release.html


今年の10月ぐらいにアメリカのチベット100人委員会の代表を呼んで、できれば1回懇親会をやりたいと思っておりますので、またご案内したいと思います。この100人委員会に対して不安だったものですから、加瀬先生はじめ、いろんな先生からご推薦いただいて、700名くらいにご案内を送りました。そして、今日12時の段階で243名の方々から、顧問兼委員、幹事兼委員の許諾書をいただきました。ですからすでに100人委員会は200人委員会を超えました。ですから、いずれはこれが千人委員会、万人委員会になるかもしれません。
きょうここに来てくださった方々、そして今までに名前をくださった方々が、あくまでもコアになって、この目的を達成するまでがんばっていきたいと思いますので、今後ともご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします。
今日は本当にありがとうございました!

それから、今日、王さんは彼としての精一杯の言葉の表現をしたと思います。私はこの20年間、何名かの中国の人たちが、大きな場所で、自分たちがチベット人に対してやってきたことに謝罪をしてくださり、彼も大勢の前で謝罪をしてくださりました。そして私は敵を味方にするだけの、こちらが正義と正統性をもっており、敵一人一人、説得していくことが、私たちの勝利への道だと思っております。そういう意味で、彼が今こうやって私たちと一緒に勇気を持って出ていることに対して、みなさん、もう一回拍手をお願いいたします。

そして近々みなさんに対して??という情報?を??ので、できるだけ多くの人たちに、みなさん一人一人が、正義のための戦士として、武士として、お伝えをお願いしたいと思います。
どうもありがとうございました。


20時42分終了


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ブログ管理人の感想

今回、一番重要な発言者であるギャロ・トゥンドゥプ氏(会場横断幕や印刷物の表記ではドゥンドゥプ。トンドゥプと表記した書籍もある)は、チベットの現代史において重要な働きをされてきた歴史の生き証人である。今回のご発言でも、鄧小平や胡錦涛と直接対話された話が出てくる。ギャロ・トゥンドゥプ氏は義勇軍の指導的立場にあり、CIAとのパイプ役を務め、ゲリラとしての訓練を受けるチベット人の若者たちを米国に送り込んでいる。そのあたりについては、「中国はいかにチベットを侵略したか」に詳しい。

ペマ・ギャルポ氏は日本語が日本人以上に達者で通訳が適切で、しかもギャロ氏が非常に頭の回転が速い方なので、会場の方の質問とギャロ氏の回答がうまくかみ合って、非常に重要なことをおっしゃっていたことも、印象深かった。

ギャロ氏の発言で非常に興味深かったのは、胡錦涛の評価が巷で言われているのと大きくことなることだ。1989年のチベット蜂起のとき、大弾圧を行い、8万人以上のチベット人の殺害を指揮したと言われている胡錦涛であるが、ギャロ氏は、それは上からの命令によるものであり、彼の意志で行ったのではない、と言う。そして、彼と直接対話して、中国の困難な問題を解決する能力を有する有能な人間であると感じたという。

中国を追い詰めるために、中国の指導者がどんなにひどい存在なのかを力説するのではなく、実感した通りのことを証言されているので、ギャロ氏の主張が真実に近いのではないかと思う。また、彼が大変に器の大きな人物であることも実感した。


イリハム・マハムティ氏のご発言は何度も聞いてきたが、毎回異なる話をされており、いつも話が新鮮である。「どうして日本はここまできて、植民地にしてくれなかったのか」というウイグル人の叫び。中国に統治されるよりはいくらかマシ、というのではなく、日本に統治されれば、「自由で民主的な生活ができたかもしれない」と、日本の統治をかなり肯定的に評価している。韓国人による評価とは180度異なっているが、実際はどうなのか。
満州人や南モンゴルの人たちは日本の統治をどのように評価しているのだろうか。バイアスのかかっていない、生の声を聞いてみたい。


王氏が話していた「外務省が日本在住の中国人の民主活動家のリストを中国共産党に渡している」、これが本当だったら大変な騒ぎになるはずだが、実際のところどうなのだろうか。


出席した議員は、自民党、民主党、国民新党の所属だった。公明党、共産党、社民党の議員は一人も参加していなかった。公明党は親玉が中国と蜜月関係にあり、共産党も中国と非常に親しい。社民党も北朝鮮や中国の独裁政権下における人権弾圧に声をあげたことなど聞いたことがない。これらの3政党は人権蹂躙に対して無関心なのか。
チベット問題は、議員に対する踏み絵としても機能すると思う。


それから、ペマギャルポ氏の教え子たちが、会場の受付などを行っていたが、彼らを見ていると、ペマギャルポ氏は教育者として非常に有能だという印象を受けた。

最後に、チベット自由人権日本100人委員会に参画希望の方は下記ページをご覧下さい。

ご参画のお願い
http://pemagyal.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_f46b.html
会員申込書
http://pemagyal.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_3dd7.html


関連ページ
7・19フリーチベットin名古屋
http://hirihoukenten.iza.ne.jp/blog/entry/655858/
 

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安倍晋三前総理からのメッセージ

チベット人権自由100人委員会の設立、ならびに本日発足記念シンポジウムを開催されることを心よりお喜び申し上げます。
この100人委員会を結成したいという構想を、ペマ・ギャルポ氏から伺い、その趣旨に大いに共感し、賛同のご返事をいたしました。
米国にはすでに100人委員会や、Inernational campaign for Tibetのような国際組織が存在しており、議会での活動も活発です。また昨年、ダライ・ラマ法王が米議会において、議会名誉黄金勲章を授与されたことも記憶に新しいと思います。
それにくらべて、日本でのチベット問題に対する意識があまりにも低いのは残念である、と常々考えておりました。それは我々政治家の責任でもあると思います。
3月10日にチベットのラサで行われた僧侶らによる平和的なデモ、これに対する中国政府の対応を契機に、日本でも大きな問題として取り上げられるようになりました。
この100人委員会が長期的、継続的な活動を展開し、日本における民族問題をリードし、日本のみならず世界に向け強く発信していくことを期待しています。

平成20年7月30日
衆議院議員 安倍晋三

 

司会の副代表幹事・小林秀英氏
司会の副代表幹事・小林秀英氏(チベット問題を考える会 代表)
 

パネルディスカッション 参加者
ジャーナリスト 櫻井よしこ氏
元東大教授 酒井信彦氏
ジャーナリスト 西村幸祐氏
石平氏欠席のため、ラジオFREE ASIAのジャーナリスト王進忠氏が代理出席


櫻井よしこ氏

ダライラマ法王様のお兄様からいろいろとお話を伺い、これまでにもチベット、ウイグル、モンゴルの方々とお会いして、体験談を聞いてきた。結論として感じるのは、中国共産党の手法というのは、どの民族に対しても非常に似ている、一定のパターンがある。チベット、ダライラマ法王様と毛沢東の交渉の歴史、チベットと中華人民共和国の交渉の歴史を辿ってみても、最初は甘い言葉で17箇条の協定などに署名をさせていく。その中で、先ほどのお話にあったが、軍隊と外交は中国に任せなさい、しかしチベットの仏教、文化、文明、法王様の地位もみんな現状の通り、守ります、と言っておきながら、それに署名させたとたんに、そしてまた、毛沢東とダライラマ法王の写真を世界中に配信して、世界各国に、あ、チベットは自らの意志で中国とこのような協定を結んだんだ、という印象を広めたとたんに、内容を変えていく。
チベット側が中国を信じて、その協定に署名をしたとたんに、国際社会に対する言い訳ができてしまって、その後は、寺院を焼いたり、破壊したり、チベットの多くの人を拷問したり、殺したり、そして、弾圧をして、チベット語を語るのを許さない、宗教を許さずに、毛沢東主義を教えるなどという蛮行を重ねてきた。
これはウイグル人に対しても同じパターンで弾圧をしている。モンゴル人に対しても、同じ形で弾圧をしている。

その中国が今、世界の大国となって、まもなく北京五輪を主催する。
我々は、中華人民共和国のやり方はおかしいのではないか、という声をあげなけばならない。
にもかかわらず、北京五輪が近づくと、五輪のことしか報道されない、そのことしか政治家も考えない、何かもっともっと大事なことを忘れているわけで、その大事なことというのは、私たちの国日本が信じる民主主義であり、人間の自由であり、思想信条宗教の自由であり、民族自決の原則であると思う。
日本はこれからも、アジアのみならず、21世紀の国際社会に自分なりの存在感を示して、国際社会に貢献することが求められているが、日本が貢献する立場というのは、まず民主主義を守りましょう、人権を守りましょう、民族自決の原則をきちっと守っていきましょう、ということにほかならない。それをこのチベットの問題で語るならば、まさにチベットの人たちの意志を尊重し、ウイグルの人たちの意志を尊重し、モンゴルの人たちの立場をきちんと尊重して、連携していくことだろう、とお話を伺って、実感した。


 

パネリスト参加者 フリージャーナリスト櫻井よしこ氏と歴史学者・酒井信彦氏
パネリスト参加者 櫻井よしこ氏と酒井信彦氏
 

酒井信彦氏

 

私は司会の小林先生と一緒に、今から20年以上前になるが、1987年秋にチベット問題を考える会を作って、それからずっと活動を続けてきている。しかしなかなか日本の中では、チベット問題は浸透していかなかった。
今回チベット問題が話題になっているが、前に比べるとかなり論じられて、いろんな人が関心をもたれるようになってきたが、その中で、割と触れられていないことがある。そのことを今回のシンポジウムでいくつかお話ししたい。

私は、日本史の歴史学者なので、チベット問題の歴史的背景ということに非常に関心をもつ。チベット問題は人権侵害問題だと捉えられているが、私は、人権侵害の側面はもちろんあるが、基本的には民族独立問題であり、反対から言えば、いわゆる中国人の侵略問題であると思う。
中国人支那人が侵略を正当化するイデオロギーがある。日本人はそれにほとんど関心をもっていない。この侵略のイデオロギーというのは、普通言われるように共産主義ではない。共産主義よりずっと前に、支那人は侵略を正当化するイデオロギー、論理、哲学といったものをつくっていった。端的に言うと、それをまとめ上げたのは孫文である。孫文は1911年の辛亥革命で中華民国を作ったということで日本の歴史の教科書の中でも、必ず出てくる、日本では最も高名な中国人の一人である。
その人の三民主義という本があり、その中に民族主義というのがある。いくらでも翻訳が出ている本なので、手軽に読めるが、その中に侵略を正当化する哲学をまとめあげている。
簡単に言うと、中華、その当時は中華民国、にはいろんな民族がいるが、それはすべて中華民族なんだ、漢族もその一つだ、チベット人、モンゴル人も中華民族なんだ、と。中華民族という大きな網をかけて、したがって、チベット人の土地もモンゴル人の土地も、中華の土地、中国の一部なんだ、という、それが侵略を正当化するイデオロギー。

それはすでに中華民国の段階で完成されていた。ただし中華民国は侵略を実行するだけの軍事力がなかった。中華民国のときも東チベットに侵略をしかけているが、それは成功しなかった。そういった基本的なものの考え方があって、それに基づいて中華人民共和国が成立した段階で、チベット、南モンゴル、東トルキスタンを侵略、併合して、中華人民共和国ができた。この中華民族主義、私は支那侵略主義と言っているが、侵略を正当化するイデオロギーであるが、ただしそれだけではなくて、一番重要なことは、すべての中華民族は、漢民族に同化すべきだという考え方が根本にある。
少数民族の人たちの存在価値は認められていない。したがって、人口侵略をして、漢民族に同化吸収してもかまわない。チベット人ウイグル人は消滅してもかまわない、というのが基本的な考え方。
これが一番恐ろしいことであって、それに基づいて民族浄化政策が行われている。
この考え方は、さらに拡大して、日本にも及ぶ可能性が高い。
支那人が日本を侵略する場合には、中華民族の概念を適用して、日本民族も中華民族の一つなんだ、と。大和族という言葉が作られたこともある。
だから、チベット、東トルキスタンに対する侵略というのは、単なる共産主義のイデオロギーではないのであって、中華民族主義、支那侵略主義を、支那人に根本的に改めさせることが必要がある、と私は考えている。


西村幸祐氏

今日の記念すべき100人委員会に多くの方がつめかけていただいて、本当に感謝しております。
さきほど、ダライラマのお兄様からお話をいただいたが、実はこのシンポジウムが開催されるちょっと前にお話をした。そのときにも、私は閣下から「日本こそ、チベットの問題を解決するために、アジアをもっともっとリードしてほしい」と言われた。それを聞いたときに、忸怩たる思い、恥ずかしい思いをした。
そのとき「日本は戦争に負け、非常に弱い国になってしまい、とてもアジアをリードしていくような状態ではありません」と正直に申し上げた。すると閣下は「それはわかっています」とおっしゃった。
しかし、そういう去勢された日本になっていながら、それでもまだ日本にそういう思いをかけてくださっている。

私たちが日本の歴史を知ることによってチベットの歴史を知ることもできるし、またチベットの方々がチベットの歴史を知ることによって、日本の歴史にも関心をもっていただくことができる。日本とチベットが、今酒井先生がおっしゃったような中華帝国を中心とした東の端に日本列島があって、西の端にチベットがある。東と西に位置している日本とチベットは、中華帝国を介在して、非常にパラレルな関係になっているということが歴史的にも実は証明できるのではないかと思っている。

かつてチベットは、吐蕃王国として8世紀に中央アジアまで支配していた非常に強い国だった。そのときに今のチベット仏教の原型ができあがっていったわけだが、そのとき日本でも奇しくも大化の改新が行われ、支那大陸でなくなりつつある仏教は、東の端の日本で、国教と定められ、仏教文化が花開いた。時を同じくして、吐蕃という国も仏教を花開かせていた、という歴史的なことにも思いを馳せたいと思う。

最後に私がチベットの問題で非常に感じていることがある。それは胡錦涛主席が来日した5月6日に向けて、日本の中で3月から5月にかけて、非常に若い人たちの間でチベットへの支持が高まって、しかもマスメディアが報じないところをぬって、どんどん自分たちで情報を集めて、チベット支援の輪が広がって、胡錦涛来日の日にはなんと東京で数千人規模のデモ行進が行われた。
それは今までのマスメディアとは違ったものを求める、違った海外からの情報をもてる方たちが、いよいよ立ち上がってきた感じがする。

フリーチベットという言葉は実は、フリージャパン、フリー日本なんだということに、日本も本当に独立しないと困る。そういうことを考えながらチベット支援を考えていきたい。

ジャーナリスト西村幸祐氏(右)と欠席された石平氏の代理として急遽参加されたラジオFREE ASIAのジャーナリスト王進忠氏
ジャーナリスト西村幸祐氏(右)と欠席された石平氏の代理として急遽参加されたラジオFREE ASIAのジャーナリスト王進忠氏
 


王進忠氏

1987年日本にきて、89年天安門事件があった。民主中国??という組織を作った。当時からペマ先生と20年間のつき合いです。ダライラマ法王は15回来日したが、私は7回お会いした。去年11月日本にきたとき、一緒に台湾に行きました。そのとき法王から、チベットの問題、中国の問題。二つの問題。一つは宗教の自由の問題、もう一つは中国の民主化の問題。この二つの問題を一緒にやりましょうと法王様から確認できました。

私個人の考え、中国はこの60年間で一番の問題が中国共産党の問題、共産主義が中国に入ったときおかしくなって、先ほどのお話にあったが、鄧小平も刑務所に行った。共産党員も殺した。今、台湾問題、台湾のことウイグルのことモンゴルのこと、民族すべては中国共産党の政策。私の考えは、中国が民主化しないと何にもいけない。民主化のためには共産党を倒さないと何にもならない。

そういう考えで私も100人委員会に入りました。ペマ先生、ウイグル、モンゴル、日本人もアジアのため、日本はアジアの責任をもたないといけない。日本はアジアの中で一番民主の国、今北朝鮮の問題、拉致の問題がある。本当は中国共産党を倒さないと、日本の目の前の問題がたくさんでてくる。今拉致の問題は解決できない。私はジャーナリストとして、拉致の問題を書いているが、中国人で書いているのは私だけ。もともと拉致の問題に日本人、アメリカがテロの国から北朝鮮を外す、日本人は、中国にもっともっと民主化ならないといけない。

今チベットの問題も、我々の情報でいま10万人刑務所に入れている。大変な時代で、先ほど質問した人は、チベットの情報がない、私はもっともっと勉強しないといけない、日本人としてここで質問するのはおかしい、もっともっと日本人は自分のため、勉強しなさい。チベット人はどのくらい苦労しているか。

先ほどの質問者2が立ち上がる
「それは知ってますよ…」

質問者2 演壇に近づいてマイクを取る
私はね、チベットのことを悪く言っているんじゃなくて、チベットの人民と日本人がもっと…

会場から罵声
「引っ込め!」
「やめろ!」
「出てけ、このやろう!」


司会者
ディスカッションの最中ですので、私的な発言はお控え下さい。


司会者、櫻井氏に王氏の発言についての意見を求める。


櫻井
中国の周辺の国々の歴史を、王先生のおっしゃるように、もっともっと勉強しなければならないと思う。
中国がいったい何を目指しているのか。清朝の頃の領土領海版図をもう一度回復するのを目指している、清朝の時代に直接の支配でなくても、何らかの関係があって、朝貢したり、そうした国々を自分たちの領土だと考えているのではないかと思う。
中国外務省が、北朝鮮はかつて中国の一地方政府だったという論文をホームページに載せて、北朝鮮だけでなく、韓国の人たちの反発も招いた。でもその立場は未だに中国政府はとっている。中国の人たちと話すと、沖縄も中国のものだと言う。今みなさんお笑いになったが、本気なんです。沖縄は清朝に朝貢し、薩摩藩に支配され、二つの国に支配されていた時期がある。だから中国の領土だというのが中国の方々の本音だと思う。朝鮮半島も沖縄も中国の領土。そしてベトナムも周辺の国々はみんな中国の一部になるべきだという考えで、どこまで突っ走るのか、ということが時々わからなくなる。
この辺、王先生、教えていただけますか?



私、勉強不足なんで答えるのは難しい。
一つ、先生にお願いがあります。胡錦涛と福田総理は会談で、日中人権対話をやると。今月の16日17日に北京で人権対話をやったんですよ。中身は何も公表されていない。前はペマ先生と??委員会で外務省の人が、チベットの人権の話をしまして、一つは、チベットで何があったのか、真実はね、もう一つはダライラマ法王と対話しなさい、という日本政府の立場。そういう結果。
でも先週人権対話、中国政府は、日本政府に、日本にいる法輪功の名簿をください、と。そういう要求が出た。??ニュースになった。??日中人権対話をやった。日本の外務次官、自民党の国会議員、??先生、外務次官??日中人権対話全部調べた。記録は何なのか。全部日本政府は、外務省、民主化支援のリスト、支援グループのリスト、全部中国に渡した。毎日新聞は小さく報じた。
だから今の時期、オリンピックの前、日本人としてチベット問題に対して、外務省がそういうことをやっているのはいいのか、ということなんですよ。

酒井
私はちょっと質問というより、これからあとどれくらい時間があるかわかりませんので、言いたいことを言っておきたい。
私は日本史学者だが、歴史には進歩の方向、発展の方向というものがある。それは近代史でいえば民族自決、民族独立の原則。これは第一次大戦のあとのベルサイユ講和会議のときに、アメリカのウイルソン大統領の14箇条の中の一つだが、それに基づいて、第一次大戦後にヨーロッパで8つの国が一挙に独立した。バルト三国、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビアというような国が独立した。ただしそのとき、その民族自決、民族独立の原則はヨーロッパに適用されたけれど、アジアには適用されなかった。
朝鮮半島で三一独立運動があった。これが1919年ベルサイユ講和会議のその年の3月1日に朝鮮であって、北京で五四運動があった。これも反日運動。なぜそういうことが起こったかというと(民族自決の原則が適用されたから。)、ヨーロッパに適用されている原則がアジアに適用されない、これは大変な不公平。差別です。ところが、現在それとまったく同じ差別が起こっているということにほとんどの人が気がつかない。

これは加瀬先生が先ほど少し触れられましたが、1990年代初めにソ連が解体し、東ヨーロッパではユーゴスラビアが解体し、チェコとスロバキアは分裂する、それから多くの国が民主化した。それこそが歴史の進歩の方向。ところが、ヨーロッパで起こったことがアジアで起こらなかった。中華人民共和国は解体しないし、ほとんどの共産主義国家は民主化しない。ただし一つ例外があってモンゴルが民主化した。これはソ連の影響下にあった国だったわけで、ソ連が解体したために民主化した。
アジアの中でも中央アジアのソ連圏の中にあった5つの国が独立できた。これはトルコ系のイスラム教徒の国。ところが中華人民共和国は解体しないし、中華人民共和国自身が民主化しない。北朝鮮、ベトナムも共産主義のまま。

ヨーロッパではルーマニアのチャウセスク政権が崩壊したが、北朝鮮では金政権がそのまま居座っている。これは明らかに、第一次世界大戦の後に起きた矛盾とまったく同じこと。だから今度はアジアは、特に東アジアが民主化して、民族独立ができなければいけない。

アジアが差別されている。もっとはっきり言うと馬鹿にされている。世界の中で。
その中で、日本はアジアの先進国だとか言っている。だが、その矛盾に充ち満ちた、先ほどのトゥンドゥプ閣下の言葉で言えば、「正義」、正義が東アジアの中で踏みにじられたまま。正義が踏みにじられているんだから、私は今は暗黒の世界だと思う。
暗黒の世界だということを今の人たちは、ほとんど気がついてないけれども、客観的にいうと暗黒の世界。
この暗黒の世界は、必ず正さなければならない、正義を実現しなければならない。
私が言いたいことはそういうことなんです。

具体的にどういうことかというと、私は中国人、支那人たちに本当のことを教える運動をみなさんやっていただきたい。もちろん、政治家、報道機関、学者、中国に行っている日本のインテリの人たちにやってもらわなければいけないことだが、みなさんにもできる。日本にたくさん中国人支那人が来ている。そういう人たちが正しい歴史認識をもっているかというと必ずしも持っていない。そういう人たちに本当のことを教えてあげてください。
最近「靖国」というドキュメンタリー映画を作った在日中国人の李纓という監督が、朝日新聞の広告の中でどんなことを言っているか。相手が困るようなこと、相手の弱点をお互いに言い合う、本音で語り合う、それこそが本当の友好だ、と言っているわけだから、中国人支那人に侵略をやめなさい、今また間違ったことをやっている侵略をやめなさい、と言ってあげることこそが、本当の友好なんです。

相手の誤りを正す、それをみなさんやっていただきたい。我々は自分たちの歴史を必ずしも美化する必要はない。私は日本の歴史を客観的に反省している。日本の朝鮮支配というようなことをいいことだと思っていない。でも朝鮮で日本がやったことが悪いことだとすれば、それと同じこと、それと比べてもっと大虐殺とかをやっているのは中国の人たちで、現にやっているわけだから。それを正さなければ、日本の左翼とか、朝日新聞、岩波書店、個人的に言えば、大江健三郎さんとか加藤周一さんとかいますが、そういう人たちは実は自分たちの歴史を客観的に反省していない。本当に反省していたら、現在支那人がやっている侵略、無惨な侵略をやめろ、と言わなければならないはずだ。

みなさん、中国人と面と向かって論争することを好まない人がいると思う。日本人は心が優しいですから。しかし口げんかをするより仕方がない。始めから分かってくれないわけだから。論争してください。それでもまだ遠慮するかもしれない。
そういう人たちには毛沢東の言葉を進呈したい。
毛沢東は何と言っているか。
「ケンカをしなければ、仲良くなれない」

 

司会者
王先生は共産主義が諸悪の根源だとおっしゃる。酒井先生はそれ以前に、中華民族主義があって、そこに大きな誤りがあるんじゃないか、と指摘されているが、それについては、王先生はどう思われますか?



すごく難しい。孫文の時代、反乱?の風があふれている。話するの長くなるから、言葉の問題もあるし。中国が一番おかしくなったのは共産主義ですよ。共産主義が来ているのは日本からですよね。1916年?。今の中国共産党は??。
中国は今北朝鮮みたいですよね。一番大変な時代は日本の田中総理が中国に行ってODA、いろいろ援助した。
天安門事件のときは、世界中の国は経済制裁。
でも日本の総理が行って助かった。
中国の発展は日本のODAのおかげ。
今チベットの問題ももっと、なぜ外務省が途中でやらなくなったか。
日本は責任をもたないといけない。


西村
酒井先生がベルサイユ条約のお話をされたが、考えてみれば、翌年国際連盟が発足することになっていて、日本は常任理事国になった。まさにそのときは日本はアジアをリードする国だった。そのとき日本は人種差別撤廃条約を盛り込もうとしたら、アメリカのウィルソン大統領とオーストラリア政府が反対して、日本の提案した人種差別撤廃条約が国際連盟の条約に盛り込まれることはなかった。
その時点で、アジアというものは、白人たちにどう見られていたか、ということを証明している。
そういったことが、先ほど酒井先生がおっしゃったことにもつながってくると思う。
そういった二重の構造になっていると思う。

それからさっき王さんがおっしゃったことにびっくりした。
外務省が日本在住の中国人の民主活動家のリストを中国共産党に渡している、それは本当ですか?


????? 毎日新聞に載った。

西村
ちょっと驚いた。おかえしします。


櫻井

私は酒井先生のお話に感銘を感じながらも言いたいんですけれども、それでも日本はアジアのやはりリーダーでなければならないと思う。
アジアの国々をまわると、本当は中国は怖い、本当は中国があまり好きではない。もっと日本にがんばってほしい、という声は、どの国に行っても聞かれる。
どの国でも政府の中枢にいる人たちもそういうことをおっしゃる。
やはり日本はアジアのために尽くす、アジアにもっと人権尊重、民主主義、法の支配、人間の自由というものを担保するような、価値観を根付かせることに対して責任をもたなければならないと思う。

でもなかなか日本自身がそうしたことを発言できない。
阿部総理のときに、価値観外交ということが盛んに言われた。
でも今は、そんなことも消え失せている。
私は日本が価値観外交を言い続けること、それに向かって邁進することがとても大事だと思う。

歴史を振り返ると、日本の歴史を美化するつもりはないが、本当はすばらしいことをたくさんやってきている。我々がやってきたことは、21世紀の国際社会の一つのモデルとなりうるような価値観。貧富の差は少なく、みんなほどほどに日本で幸せな社会を作ってきた。非常にモラルが高かったし、能力も磨いてきた。

たった一度第二次大戦で負けて、その敗北によって全て日本の過去を否定するような価値観が蔓延してしまったけれども、それはたかだかここ数十年の短い期間のことであって、今私たちはこの日本の生き方が何かおかしいと、若い人たちを見てもおかしい、国家のあり方を見てもおかしい、ということにみんな気づいているわけですから、やはりここでもう一度歴史の中から自信を取り戻す作業が必要なんだろうと思う。

それは日本のためだけではなく、チベットの人のためにもなり、ウイグル、モンゴルの人のためにもなるのであり、また中国で本当に弾圧されている、 さっき法輪功の話がでましたが、法輪功を始めとする中国で弾圧されている全ての人々、北朝鮮で苦しんでいる全ての人々のためにもなるんだと思います。
ですから、私が申し上げたいことは、チベットのために力を尽くすことは日本の歴史を振り返って、日本人が自信を取り戻すことと同義語なんだというふうな考え方をしてもいいのではないかと思います。

 

パネルディスカッション終了

自民党 衛藤晟一参議院議員

自民党 衛藤晟一参議院議員
自民党 衛藤晟一参議院議員
 

今日はお話を聞かせていただき大変ありがとうございました。
私どももちょうどちょっと前にチベット、ウイグル、モンゴルの問題でシンポジウムをやらせていただきました。大変深い話を今日は聞かせていただきました。
私どもが一番悩んでいる問題というのは、非常に日本社会全体のモラルが下がっていて、足の引っ張り合いの状態を呈してきている。
その根本は何かというと、日本は自分に対して徹底的に自信を失ってしまったということにあるのではないかと思います。戦後六十数年たち、ぼちぼち目覚めて、本当に素晴らしい生き方をしよう、モラルを取り戻そう、自分の歴史を取り戻そうということをしない限り、大変なことになるんじゃないかなという感じがしています。

今、本当のことを発言できないようになってしまっている。
チベットの問題にしろ、ウイグル、モンゴル、東南アジアで起こっている中国を取りまく問題にしろ、いつの間にか何もしゃべれない、何も言えないような状況になってきている。ということは、日本が自信を失い、モラルを失い、堕落し過ぎて行っている状況なんだな、ということを改めて感じている次第であります。
そういう意味で、チベット問題で日本が本当に責任を感じて、大変な状況で、人間として、一緒に涙を流して、一緒にがんばろう、という人としての生き方の原点をもう一回取り戻しながら、やらなければならないんじゃないかな、という気持をもっている。

チベットの問題を一緒に考えさせていただき、また発言もさせていただき、行動もさせていただきたいと思っている次第であります。今日は誠にありがとうございました。

 

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ダライ・ラマ法王の次兄ギャロ・トゥンドゥプ閣下

テーマ「チベットの現在・過去・未来」
通訳 委員会代表幹事ペマ・ギャルポ氏

ダライ・ラマ法王の次兄・ギャロ・トゥンドゥプ閣下(右)と通訳の政治学者ペマ・ギャルポ教授
ダライ・ラマ法王の次兄・ギャロ・トゥンドゥプ閣下(右)と通訳の政治学者ペマ・ギャルポ教授
 

足が悪く座らせていただきます。申し訳ございません。
紳士淑女の皆様、今回私は特に皆様にお会いするために、まいりました。
私が今回日本にきたのは、チベットのために100人委員会が発足されるということを聞きまして、老体ではありますが、参上いたしました。そしてみなさんに心から感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。

なぜなら、私たちは、ダライラマ13世のときから、日本と繋がりがありました。1950年代以降も、ダライラマ法王は何度か訪日し、お世話になっております。
日本は距離的には遠い国ですが、我々チベット人は、日本は非常に重要な国で、極めて近い存在だと思っています。
なぜかというと、日本の皆様、国民は高い教養を持ち、中国のこと、アジアのことを、日本が一番よく知っているからです。

この五十数年間、残念ながら、いろいろと悲しい出来事が起きました。そのため、約10万人のチベット人が、1959年インドに難民として亡命しました。
ダライラマ法王のご指導のもとで、難民の子供に対する教育、高齢者の福祉、僧、尼僧たちのお寺や住居をなんとかして、まとめて束ねていく仕事を一緒にやってまいりました。
私どもはこの50年間の難民生活で、まず子供たちに教育を与えてきました。幸いにして多くの人たちが教育を受け、十分に期待に応えてくれています。同時にチベットの文化、宗教、伝統を維持し、それをさらに自分たちが研修するということに力を入れてまいりました。おかげさまでこういうことも何とかできています。

チベットにいようが、海外にいようが、全てのチベット人が共通して思っていることは、「正義はチベットにある」「私たちの方に真実がある」ということです。

1959年から79年までの20年間、チベット国内と国外のチベット人は接触することはできず、中国によって完全に閉鎖されておりました。中国政府が完全に国境を封鎖し、チベット人が中に入ることも、中から外へ出ることもできなくなりました。
その20年間、私たち海外にいるチベット人は、国内の人たちが本当はどうなっているのか、自分の兄弟や親がどういう風に生活しているのか、生きているのかどうかもわかりませんでした。中にいる人たちは、本当に自分の兄弟、夫、子供が外国に逃げることができたのか、生きているかどうかすらわからない状態でありました。

そして1979年、中国の指導者鄧小平が私を探しているということを、香港で知りました。鄧小平は、私に会いにきてほしい、ということでした。そのことをダライラマ法王に報告しましたところ、法王は、行った方がいい、行きなさいとおっしゃいましたので、私は法王の命を受けて、鄧小平に会いに中国に行きました。1979年、鄧小平と北京で会いました。

そのとき鄧小平は「過去のことは過去のこととして忘れましょう、私たちも非常に苦労したし、チベットの人たちも苦労している。私自身も刑務所に入りました」と言いました。そのまわりにいた人たちも刑務所に入ったと言っていました。これからは未来が大事であり、そのために、できるだけ近いうちにダライラマ法王に中国に来ていただき、チベットに帰っていただくことが非常に大事である、と彼はおっしゃいました。
チベットが中国から完全に独立する、ということを支持するのは極めて難しい、しかし、独立以外であれば何でも話し合う用意がある、ということを鄧小平は私に約束しました。
鄧小平は「この場で交渉に入りましょう、この場で私に要求を出してください」と言いました。そのとき、私は「私はあなたから招待を受けて、ダライラマ法王の許可をとって参ったのであって、決してあなたと交渉する権限をもってきたのではありません」ということを申し上げました。
「もちろん今日ここで閣下から伺ったすべてのことについて、私は帰ってからダライラマ法王に正確にご報告申し上げます」ということも約束しました。

しかし、私個人として、2,3のお願いがあります、ということを言いました。私からの第一の要望は個人的なものでありますが、過去20年間、海外にいるチベットの人たちは、自分の親兄弟親戚が国内で健在であるかどうか、生きているかどうか、ということがまったくわからないので、どうか国内と国外にいる人たちが、お互いに親族と再会する機会を与えてもらいたい、そして海外にいる人たちが親族に会いに行く、中にいる人たちが外に出る許可を出してほしい、ということを言いました。
家族の再開、それが私の第一の要望でした。

それに対して鄧小平は「この場で決めます。この場で私が指示を出して、国境を開き、外にいるチベット人が国内にいる親戚を訪問すること、国内の人たちが国外に行くこと、両方を許可するようにしましょう。私は今この場で指示を出します」と言いました。

二番目に、今、チベット国内では、学校でチベット語を教えられる先生がいない、学校では完全にチベット語を教えていない、ですから、海外にいるチベットの若者は、ダライラマ法王のもとで、幸いなことに、現在教員の資格をもっている人たちがたくさんいる、その若者たちの中から、学校の先生を国内に送りたい、そのことを認めてもらいたい、ということを要求しました。

それに対しても鄧小平は、「非常によいご提案です。何名送っていただけますか」と言いました。私は、最初のうちは2,30名、そして徐々に増やしていきたい、と言いましたが、鄧小平には「それは少なすぎる。どうせなら千人送ってください」と言われました。鄧小平は付け加えて、「確かに、チベットでは先生が足りない。いわゆる少数民族の学校でも先生が足りないので、できるだけたくさん送ってきてください」と言いました。

三番目として、パンチェンラマが文革前、文革中、そして現在もひどい扱いを受けている、ということを言いました。これは決して正当なことではないので、できるだけ早いうちにパンチェンラマの地位を回復し、パンチェンラマを正当に扱ってほしい、と言いました。
これに対しても鄧小平は、「確かにパンチェンラマは非常に苦労を味わいました。ただちにパンチェンラマに元の職、政治きょうしょ?副主席の地位を回復させます」と言いました。

その会話を通して、彼が私に言ったのは、「ダライラマ法王は非常に重要な方であり、一日も早く帰ってきてほしい」それと同時に、チベット問題に関して、「独立以外は何でも話す用意がある」ということを非常に強調されました。
そのときに私は「よくわかりました。今回おっしゃったことはすべて法王に報告します」と約束して、その後さらに約3週間北京に滞在して、帰りました。
帰ってから、すべてをダライラマ法王に報告しました。

これが一つのきっかけとなって、海外にいるチベット人が、国内にいる自分たちの親戚を訪問したり、国内からも海外の親戚を訪問することが始まりましたし、ダライラマ法王の代表団と北京政府の接触もここからはじまったわけです。

それから数年はダライラマ法王からもいくつかの代表団が派遣されましたし、民間のレベルでも国内から外に出る人もたくさんいましたし、外からもたくさん国内に入りました。

それ以来、ダライラマ法王の代表団と北京政府の対話、接触が今日まで続けられており、私自身もあの年から欠かさず今まで28年間北京政府と接触しております。
それはなぜかというと、今チベットにとって問題のある相手は中国政府であり、中国国民がそれを理解することが極めて重要であるからです。

この28年間、紆余曲折がありました。大変な困難もありました。しかし私たちは忍耐をもって今日も接触を続けています。
特に今年は大きな出来事がありました。今年の出来事によって様々な誤解も生じています。

中国側はダライラマ法王の白い帽子を黒く塗っています。
それは決して真実ではありません。
決してダライラマ法王は彼らが言っているようなことではなく、平和的に問題を解決するためにあらゆる努力を続けています。

もちろん海外にいるチベット人の多くはデモをしたり声をあげたりしています。中国政府の方は、私たちがオリンピックを破壊する、邪魔をするのではないか、と言っていますが、そのような気持も計画もまったくありません。
ダライラマ法王も私も北京五輪が正しく行われることを期待しています。

みなさんお忙しい方ですからあまり細かいことを言うのは止めますけれど、このチベット問題は非常に複雑だし、また難しいですが、今日こうやって新しい会を発足していただき、そしてみなさんがこうして集まってくれることが非常に重要であるという認識をもち、私はとても感謝しております。

なぜかというとまず一つは日本は、チベットはもちろん中央アジア、東アジアのことを一番よく知っているはずの国だからです。
アジアの中で中国のことチベットのこと、中央アジアのことを一番よく知っている国の一つが日本だと思っています。

こうやってみなさんが100人委員会に参加してくださり、きょうこのシンポジウムに来ていただいたわけですが、できるだけチベットにきていただき、インドにきてダライラマ法王に会っていただき、自分で真実を知っていただければ幸いです。

私たちチベット人は人口的には少ないです。ですから大した力もありません。また知恵も足りません。しかし、正義だけはチベット側にあります。

1945年当時、毛沢東が支配していた時代ですが、私は中国に留学し、今日まで60年間ずっと中国と接してきています。
もちろんアジアの国はすべて重要ですが、その中でも日本は非常に大きな役割をもっている重要な国だと思います。
アジアの平和と安定のために、日本はもっと積極的な関わりを持ち、中国とも積極的な関わりをもつことが大事だと思っています。

ですから私は直接みなさんにこの問題を訴え、ぜひともみなさんに私たちを支援し続けていただきたいということを申し上げに参りました。
本当にありがとうございました。


質問者1

遠いところからお越しいただきありがとうございました。
皆様人権の問題で非常に苦労されているということがよくわかりました。そして民族が痛めつけられている。今チベットで中国人が800万人でチベット人が600万人だと聞いております。中国は53の民族からなっているので、ソ連が崩壊したように、個人的にはそういうことが起きるのではないかと思っているのですが、このへんはいかがお思いですか。
また、胡錦涛さんはチベットで大活躍して出世コースに乗ったと聞いておりますが、あの国ですから虐殺があったのだと思いますが、非常に苦労があったのだと思いますが、言える範囲でお答えいただければありがたいと思います。


ギャロ・トゥンドゥプ閣下の回答

確かにチベットは人口は少ないですが、広大な土地をもっています。四川省、雲南省、青海省など、これらの地域で過去約50年間においてたくさんの中国人が入っていることは事実です。しかし具体的な人数については把握しておりません。

胡錦涛がチベットで大手を振って、それが認められて、今日の地位を手に入れたのではないか、という憶測については、私は違うと思います。たくさんの人たちを殺したり、たくさんの人を獄中に入れたけれども、それは上から命令がなければ、彼であってもできるような社会ではありません。

私は胡錦涛と会ったことがあります。鄧小平が生きているときに、鄧小平から「一回胡錦涛と会ってくれ。その人物評を自分に聞かせてほしい」と言われて、会いました。私は4時間ぐらい胡錦涛と話をしました。そのとき彼はまだ中央政府の役職にはありませんでした。
そのすぐ後に、鄧小平から密使が来て、私に、あなたの胡錦涛の感想はどうだったか、と聞かれました。そのとき私が使いに、「鄧小平に申し上げてください。もし胡錦涛のような人間があと数十名いたら、中国の問題はかなり片付くのではないか」ということを言いました。

ソ連で起きたようなことが中国でも起きるのではないか、ということについては、私は予言者ではないので、ここではお答えできません。
ただ逆にいうと、この21世紀は科学の時代と言われておりますが、瞬時に物事が変わってきておりますので、何が起きるかまったくわからないです。

質問者2
私は20年ぐらい前からチベットの歴史や文化に関心をもっているが、チベットの国内でここ半世紀において、中国共産党支配によって、吐蕃王国の時代からの古い歴史、文化、信仰などについての民族意識的なものがなくなってきているのではないか、と危惧している。欧米、日本でチベットの人権問題、自治問題に積極的に応援していってもチベットの中の人がそういう意識をもたないと、なかなか共産党に対抗しうる自治を成立させるのが難しいのではないか。私も一回チベットに行ったが、ラサとシガツェしか行ってない。地方がどうなっているかということもわからない。パンチェンラマも共産党系になっているが、そういう指導する人がいるのか、民族意識はどうなっているのか。ただ生活が苦しいとか弾圧されているので運動するだけでなくて、チベット民族としての民族意識、歴史認識の大切さをどの程度チベット人たちが思っているか。


ギャロ・トゥンドゥプ閣下の回答
チベットに何度かいらっしゃっていただいて、もうちょっとチベットのことを深く見ていただければ、あなたのお考えが変わると思います。もちろんチベットでも大きな変革が起きております。
確かに変化の中においては、空港ができたり、鉄道ができたり、道路ができたりしています。私が7才半のときに生まれたアムドからラサまで行きましたが、3カ月かかりました。
そのような変化の中で、一部考え方が変わってきているのは事実でしょう。
チベット人はあまり多く語らない民族です。心のあるものはそう簡単にしゃべりません。チベットに一回来て、民族意識がないと思ったら、それは間違いです。何度か行ってみてください。


http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/34/ へ続く

 






 

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