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http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/30/ の続き
石濱裕美子氏への質問
Q。チベット政府があのときこういうことをやっていれば中国に併合されることはなかった、というようなターニングポイントはあったのでしょうか?
A。1913年から51年までチベットは事実上独立の時代にあった。だからあの間に、ちゃんと国家としての承認を第三者に求めるという努力を何らかの形でしていれば、あれほど無惨な形で国を奪われるということはなかったと思う。これについてはダライラマの最初の自伝『チベットわが祖国』に「自分のものである国を自分のものであると証明することなんで誰も思いつかなかった」と書いてあるが、そういうところをご覧になっていただければおわかりいただけると思う。
Q。封建身分制度はあったのでしょうか?
A.あったと思います。貴族がいてお坊さんがいて、高僧からお茶くみ僧までいろいろいた。それは日本においても徳川時代に武士の身分があったり、大名の身分があったりするのと同じで、そういうようなもののチベット版があった。多分裏に含まれている質問の意味は、いわゆる虐待は行われていたのか、ということだと思うが、封建制度におけるいろんな刑罰とか習俗というのは今から見ると非人道的なものが多い。そういうものはチベットに実際あったと思います。喧伝されているとおりのものかどうかはわかりません。日本のさらし首とか竹で首を切るような刑罰を今になってからあれこれいうのと同じで、あまり意味のないことではないかと思う。
Q.現在のラサ市内は昔の面影をほとんどなくしたような状態ですか。
A.何を基準にするかですが、ポタラ宮の職人村も歴史的建造物だったのに、世界遺産に認定されると現状を変えられなくなるので、ドコドコ壊された。特に94年にトゥルナン寺とポタラ宮が世界遺産になる直前は、特に破壊された。もっと破壊された場所もあることを考えると、まだラサの旧市街は多少は面影を残しているのではないかと思う。しかしそれもどんどん変わってきている。
Q。中国が認定したパンチェンラマしか表に出ない状態でダライラマ15世はどのように選ばれると思いますか。
A.ダライラマ14世は、中国が統治しているチベットには生まれないと言明している。間違いなく外国でお生まれになる。インドかどうかはわからないが。そういった場合、伝統的な転生の探し方によると、別にパンチェンラマだけに限らず、生前のダライラマ14世の側近の方たちがいろんな形で選ぶし、シャーマンにお伺いもたてるし、複数の状況を総合して決める。何もパンチェンラマの意見ですべてが決まってきたわけでもない。どちらにせよ中国外で生まれるので、中国政府が仮に別の15世を作ったとしても、現在のパンチェンラマ同様、たぶんあまり力は持ち得ないと思う。
Q.歴代清朝皇帝とチベットの関係について。乾隆帝。18世紀に現れた満州王朝清朝最盛期の皇帝は確かにチベット仏教を信仰されたが、政治的な意図があるのではないか。
A.一人の人間がチベットとどういうように関わってきたのか、乾隆帝のように即位が長い場合には一概には言えない。即位したての頃の、熱烈にチベット仏教に恋している時期もあれば、いろいろな政治的悶着が起きて冷めるときも、いろいろある。グルカ戦争が終わった後は極めて現実的な気持になって、お金もかかったしチベットにはずいぶん振り回されたという意識が乾隆帝にもあった。雍和宮(ようわきゅう)に立てた碑文には、私がこれだけチベット仏教にてこ入れするのは、モンゴルとの同盟を考えてのことである、という現実的な言葉が並んでいる。しかしそれは最晩年のこと。それ以前の彼の発言、行動は完全に宗教者のもので、宗教と政治が同じ目的に集約していたので、彼にとってはチベット仏教を信仰することが安寧につながっていたので、政治と宗教は共存していた。
Q.中国がチベットに執着する理由は?
A.これは中国政府に聞いてみないとわからないが、俗に言われているのは次の三点、
・人口が非常に多いので領土を失うことは避けたい
・資源
・民族問題的にチベットが仮に分離独立したらウイグル、南モンゴルなど他にも中国から離脱を望んでいる民族がいることを考えると、ああいう姿勢を取らざるを得ない。
野田雅也氏への質問
Q.四川大地震のチベットでの影響はどうでしたか。
A.質問の中でこれが多かった。
今回私は成都のほうから被災地に入り、実際に被災現場の状況を見てきた。
被災地は南北に延びているが、さかのぼりながら、様子をみながらチベットに入った。
チベット高原と成都は落差があるがそのつなぎ目のところでドンとはじけたような感じで、岩盤が固いチベットのほうは、ほとんど影響がなかったと言われている。私もその辺に行って確認してきた。実際のチベット人居住区ではほとんど被害はなかった。
私は偉いなと思ったが、成都ではチベット人の若者たちが、被災地でボランティア活動を結構やっていた。3月にこういうことがあって、学校の中でもチベット人と漢民族の仲違いができてしまって、チベット人が何かやることで認めてもらおうと、有志が5人ぐらい集まって、被災地に入っていた。彼らの話では、カム、アムドから出稼ぎにいこうと成都行きのバスに乗ったグループがいる。その方たちのバスが被害にあっている。
被災地に入って私も非常に驚いた。コウエンからモンセン、さらにずっと上の方まで被害が広がっている。
Q.3月の騒乱の犠牲者の数は?
A.中国の発表では19人。チベット亡命政府は209人。3月14日に一般のチベット人が石をもって一斉暴徒化してしまう。非暴力とはいえないので私は批判したい。日本人旅行者にも聞いたが、チベット人が石を投げて、肉切り包丁の大きなナタを使って漢人の車を襲ったり、バイクを襲ったりしていた。確かにああいう状況になったら人間はどういう行動をとるか、抑制が利かなかったのだと思う。
しかしその日の夕方、6時ぐらいから、軍が入ってくる。このとき発砲命令が出る。そのときの状況を4、5人から聞いたがひどい状況だった。
装甲車がひっきりなしにとおって、10~50台が常に街の中を巡回していた。道を通るときに、チベット人の道沿いの住居に機関砲を乱射しながら走る。装甲車が住居に突入して銃撃したという例もある。
目撃した日本人も驚いていたが、爆発音がすごかった。たぶん手榴弾の音。あちこちで爆発音がしていた。装甲車の乱射も爆発音も15日の朝までひっきりなしに続いた。
私がネパールのカトマンズにいたときに、ラサから目撃者が逃げてきた。彼がいうには、15日の朝の時点で、ジョカン寺の前に死体の山ができていた。
他の人の証言でも14日は死体を越えながら逃げたとか、弾の中を逃げて、多くの死体を見た、という証言はかなり出ている。一晩で死体の山ができるほどです。
それはラサの話だが、他の街でもおこっている。アパでも被害者の写真が出た。それまで被害がどういう状況か一切わからなかった。アパの地元の人が携帯で撮影して亡命政府に写真を送り、世界に流れて初めて、被害が出ているということがわかった。
そのときも中国政府は軍隊を使っていない、発砲はしていないと主張していた。だが、その写真が大きな証拠となった。
私も今回、亡くなった方は大勢いると思う。それ以上に心配なのは拘束された方々。本来なら葬式をするのだが、今回の犠牲者の葬式はまだ誰も行われていない。それが心残りだと言っていた。葬式をやると中国の発砲等で死んだ証拠となる。それで葬式をやらせてもらえない。
今回拘束された人たちについてはいろんな証言がある。ラサの中では、ラサ駅は全体が収容所になった。空港もすべて収容所になった。チベット鉄道が、貨物列車、遺体列車、拘束列車となって、中国各地に囚人たちを運んでいったという話があった。誰もどこにいったかわからない。家族たちも自分の息子たちがどこにいったか知らされていない。
ただ悲痛な毎日を過ごしているだけ。
何も証拠がありません。私もすべて伝聞で聞いたものばかり。何人亡くなったか断言できない。
Q.チベット本土にいるチベット人はダライラマを指導的存在と見ているのでしょうか?
A.チベットに600万人いたら、598万人、599万人はダライラマを心から尊敬していると思う。自分の親よりも尊敬しているということはいろんな人から聞いた。
ただし中国の経済的影響によって確かにそうではないチベット人も出てきていることは確か。漢民族みたいになっている人もいる。だからダライラマを尊敬しているのは、600万のうち599万9000人ぐらいだと思う。
Q.チベット青年会議について。
A.最近中国政府は、彼らのことをテロリストと呼んでいるが、彼らは誰一人殺していないし、私もたくさん友人がいる。彼らが過激派かというと、私はそうじゃないと思っている。インドの亡命政府はすごく民主的な社会だが、その中でもちろん独立をもとめる人も出てくるし、ダライラマもそのことは十分承知している。チベットが高度な自治を選んでいるのは、国民投票ではないが、難民投票を実施して、投票で選んでいる。多くの人が独立より自治を選んだ。その中でも独立派というのは出てくると思う。でも彼らはどれくらいのビジョンをもって独立といっているのか、私も疑問に思っている。
チベット北部、ココノル湖での原爆、水爆実験の映像
ウイグルのタクラマカン砂漠でも核実験が行われており、合わせて46回行われている。
最後の核実験から20数年経っている。
昔は被害が出ていたという話は聞く。
核の被害がどうかわからないが、周囲でチベット人が放牧しているが羊の歯が抜けているという報告を聞いた。通常寿命は6年だが、長生きしても4年だった。地元の人が青海省政府に調査を依頼し、青海省政府が北京政府に陳情し、北京から研究者たちが来て、土、水のサンプルを採り、結果を伝えた。核施設から4km下流に錫の工場があり、その廃液が羊の病気の原因ではないかということで、正確な情報はない。
チベット人、地元の人は核のことは何も知らない。放射能という言葉も知らない。私がそのことを話すと、そんな嘘を、と言われるが、だからなかなか被害状況はわかりにくい。
錫工場が原因かということも疑問ではある。
野町和嘉氏への質問
Q.チベットの風土と信仰の関連性について
A.鳥葬の写真があったが、これにチベットのいろんな要素あるんじゃないかと思う。高度4000mなので火葬にしようにも薪がない。土葬にしようにも半永久凍土。鳥に食べていただいて、次の命のために、魂が抜けた後の体を提供する。
彼らはハエも殺さない。市場で私にたかったハエを叩くとにらまれる。あの高度なので、乾いているし、病原菌がはびこる環境でもない。高度4000mは異質の世界。その異質の世界に惹かれた。ブータンは稲作をやっているが、そことも違う。
チベット仏教のカルマの話。私が感動したのは、亡命チベット人の尼さんの話。彼女は凄まじい拷問を受けている。私をあれだけ痛めつけた中国人たちが来世に背負っていかなければならないカルマのことを思うと、あの人たちが可哀想でしかたがない。
これはチベット仏教の信仰の深い部分だと思う。
渡辺一枝氏への質問
先ほど言い忘れたことをまず。野町さんが紹介した写真集に、チベットがひどい農奴制度にあったのを中国が解放した、とあった。私はかつて荘園で働いていたチベット人から話をきいたことがある。私たちは農奴というと、牛馬のように働かされて、食べ物もろくになくて、というものを思い描く。そのチベット人の話では、ぜんぜんそういうことはなく、衣食住は保証されていて、女性が生理でつらいときは畑仕事をしなくてよかった。
Q.定住をしなければならない遊牧民は現在どのように生計を立てているのでしょうか?
A.いろんな人がいると思うが、生計を立てられない人がかなりいる。チャムドで村ごと引越しさせられ、あちこちに強制移住させられた。伝統のある場所から切り離されて、動物を放つ草地もない。ひどい荒れ地に移された。生計が立てられないから、気持がすさみ、先住者といざこざが起きる。学校で、子供のケンカでケガの補償金を要求したりする。
政府の影の目的はチベット人同士でいさかいを起こさせる、ということがあるんではないか。いさかいを起こすと拘束もできる。
強制移住させるのは、そこにおいしいものがあるからじゃないか。チベット人がもともと住んでいたところは、人が住みやすい場所に違いないから、漢民族を移住させようとしているとチベット人が言っていた。かつて日本が満州でそういうことをした。
Q.オリンピック後中国はどのような方向を辿るのでしょうか? 軍事、自然破壊、人権軽視といった負の面ばかりをみると、第2のアメリカのようになるようにもおもえますが、いかがでしょうか?
A.私もどうかそうじゃないようになってほしいと思っているが、私自身中国政府のやり方はほんとにけしからんと思っている。かといって中国人が嫌いというわけではない。残留孤児の取材をして、もし同じ状況が日本であったら日本人は育てただろうか、と戦争中の学童疎開で田舎の人のことを考えるとそう思う。中国人の心の深さを感じる。
チベット本土のチベット人たちも、中国人がとにかく嫌いというわけではない。ほんとのところは中国人にはいてほしくないが、チベット人が昼食を食べようとチベット人の店に入ろうとすると、清潔ではない。働いているチベット人もやる気がない。でも中国人のレストランはきれいにしていて、中国人は一生懸命働いている。自分はチベット人だけれど、中国人のああいう面は見習わなければならないと思ってます、というチベット人もいる。
チベットでチベット人と一緒に歩いているとき、中国人の若い兵隊が腕に若い女を絡ませて、銃で犬を狙った。恋人ではなく、商売女だが、その女が制止した。すると兵隊は銃を鳥に向けた。それを見て、私はこんちくしょうと思って兵隊のところに行こうとしたら、チベット人に「やめなさいよ、あの中国人は可哀想な奴だと思わないか。あんたがあんな奴のために自分の平和な心を乱してどうするんだよ。あいつのために祈ってやれよ」と言われた。
チベット人たちと一緒にいると、中国人だから嫌い、中国人の国だから変な風になってほしいと思っていなくて、私も、どうかオリンピックが終わって、中国が中から真に目覚めて、変わっていってほしい、という願いをもっているが、もしかしたら、第2のアメリカのようになっちゃうのかなぁ、とそのことを恐れています。
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感想
3時間半の講演だったが、聞きたかった情報がいくつもあったので行ったかいがあった。
石濱先生の講演は、特に凝縮されていて、話し言葉が文章としてもかなり正確なので文字おこしがしやすかった。
石濱先生への質問に対する答えの「ちゃんと国家としての承認を第三者に求めるという努力を何らかの形でしていれば、あれほど無惨な形で国を奪われるということはなかった」というのは、今の竹島、尖閣諸島や東シナ海のガス田の問題にも通じると思う。北方領土については、比較的日本は強く主張してきた方だが(それでも手ぬるいとは思うが)、竹島や尖閣諸島(ガス田)は、中国と韓国の対立を避けて、相手が何か主張したときに、その場で強く抗議せず、友好を強調しすぎてきた。そのことが将来に禍根を残す可能性が大いにある。もし日本の領土だと思っているのなら、なぜあのとき中国韓国の主張に抗議しなかったのだ、と国際社会に日本の主張が受け入れられない可能性がある。チベット問題を見て分かるように、国際社会は正義だけでは動かない。利害で大きく動く。また慰安婦問題でわかるように、国際社会は、大声を張り上げ続ける者の嘘を信じることもある。
フォトジャーナリストの野田氏は、若い方で、口調も淡々としておられるが、やっていることを見ると、とても根性の座った方。マスコミでは流れない、貴重な現地の様子、現場の声を伝えてくれたことに感謝。
チベット側の地震の被害はたいしたことはなかった、というのは、ペマ・ギャルポさんも雑誌の対談で同様のことを話していた。でも、先日の竹内正右氏チベット現場報告では、震源付近には労働改造所がたくさんあり、そこでかなりのチベット人が犠牲になっているようなことをおっしゃっていた。
青海湖(ココノル)付近で核実験が行われていたというお話があった。核施設や放射性物質の投棄の話はダライラマ法王事務所のサイトにもあったが、核実験の話はなかったので、ロプノールの間違いではないでしょうか。
http://www.johnstonsarchive.net/nuclear/tests/PRC-ntests1.html
のページでも中国の核実験の場所はすべてロプノール(LN)となっています。
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千葉県在住