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日本はチベットから多くのことを学ぶことができる。優れた精神文化や深い歴史からだけではなく、中国に支配された経緯と命がけの抵抗運動から、我々が多くのことを学ぶべきだ。チベットが自由になるということは、日本が自由になるということだ。――このサイトの趣旨にご賛同いただける方は、サイト内の文章をご自由にご利用ください
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http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/150/  のつづき


イリハム・マハムティー氏の講演の後の質疑応答

司会(フォーラム色川代表幹事 安東つとむ氏)

先ほどの話は身の毛もよだつような、そういう悲惨な状態があって、今現在、この瞬間も続けられています。
世界中がそれを知っているわけじゃないし、いつも言いますように日本のマスメディアは非常に移り気ですから、ウイグル問題でちょっと事件があると報道しますが、継続的な報道はしませんし、この問題にいったい何が含まれるのか、いったいどんな悲惨なことが起きているのかについてリアルじゃありません。

中国北京から特派員が追放されるのを恐れてる軟弱なリベラルな新聞社もありますし、チベット問題については、私が記憶するかぎり、ほとんどずっと触れられませんでした。

1980年代の後半から私はチベットの問題に関わっていますが、大朝日新聞なんか、朝日の記者がいたらごめんなさい、大朝日新聞なんか、チベットも問題について逃げ隠れしてましたよね。

朝日の若い記者が泣いて言ってましたよね。
チベット問題を書くと、編集長に反故にされる、と。クシャクシャクシャッと捨てられちゃう、という状態がかなりあって、あんまり非道いもんですから、読者から朝日新聞に「どうしてチベット問題を書かないんだ」というような、投書というか怒りの声があって、慌てて朝日新聞がチベット問題について見開きの特集を組んだ、という笑い話があったようです。

日本のリベラリストというのは、私はリベラルな人間の一人ですが、日本のリベラルな雑誌とか新聞というのは、そういう意味では非常に弱い。
こういう問題について、少数民族問題について、チベット問題とかウイグル問題とかそういう問題について、非常に弱くって、向こうの政府の顔色をうかがうという、そういう意味では、麻生さんと立場、スタンスが全然変わらないのが、日本のリベラルな新聞、雑誌だと思います。

今日は、ここでは、むしろ本音の話を絡ませていただいて、これを何らかの形でもっとメディアに伝えたい、多くの人々に伝えたい、というふうに思います。

直截な質問、どのような質問でもいいですから、今日のイリハムさんのお話、それから自分で疑問を感じていること、そういう風な質問、なんでもいいですから、ご質問を受けたいと思います。


Q.ウイグル人の人口は何人ですか? いろいろな資料を見ているとかなり開きがあるように見えます。少数民族だと言われていますが、本当に少数という風に考えてよろしいのでしょうか。

A.政府が2006年に発表しているウイグル人の人口は、890万人です。この数字は正しくないと私たちは考えています。
1996年、新疆大学の人文学部の教授が、国からウイグルの人口を調べるよう命令されました。それで彼はいろいろ調べて、農村区域だけで1350万人以上。都市部のウイグル人は350万人以上。1700万人。
なぜ、以上というのかというと、中国は地区、県、郷、村とあるのですが、彼は村までいくのは大変ですから、郷まで行って調査した結果だからです。
彼もこれは大体の数字で、差があっても10万、20万人の差と言っています。そこまで調べているんです。

この数字を国に出したんです。出した直後、新疆大学の紀要に発表したんです。発表した直後、紀要の発行を禁止され、彼はその翌月、教授職を追われ、清掃員になってしまったんです。

今、世界の人口を研究している方々は、ウイグル人の実際の人口は2000万から2500万人、という数字を出しているんです。
中には3000万人という人もいます。

なぜ中国政府は我が民族の具体的な人口を発表しないのか。
どこの話かわからないけれど、国連としては、いちばん最初は750万人、その後、900万人、このぐらい人口がある民族は自決権がある、と国際法で定められているという話があって、その話がウイグル人の間でものすごく広く伝わっているんです。中国の情報局にもそういう話が入っていると思います。
ですから、ウイグルの人口を、できるだけ低く見積もるのは、国策じゃないのかな、と私は思います。

 

Q.漢民族というのはどのようにして漢民族になったのでしょうか。


A.唐の時代の王族は本当に漢族なのか、とたくさんの学者は疑問に思っています。中国人ではなく、朝鮮系だったというのが非常に信憑性が高いと言われています。
中国の歴史を見ると、漢の時代から、新しい政権ができたときは、必ず他民族に対する虐殺、弾圧をしています。
昔は民族意識はそんなに強くなかったと私は思います。
ですから、圧政から逃れるために、自分は漢族であると主張する人々が非常に増えたと考えられます。
いわゆる自分を漢民族だという人々が政権をとって、治めて、そのあと外来民族が治めて、その外来民族も弱くなったとき、再び自分も漢民族だと言って…。
今の中国は、昔の清の国なんですね。
清が、膨大な土地を治めたとき、もちろん人口はたくさんいたと思います。

でも、今中国に満州族がいるかというと、文化大革命の後で、自分は満州族であると主張する人々が増えたけれども、やっぱり、たくさんの人々は、自分の子供たちにも、あなたは満州族であるということを伝えないで、子供たちに自分たちは漢民族だと…。
ですから、満州の言葉を話せる人間は、報告書にある村に100人いるかいないかということだそうです。

毛沢東の言葉があります。
「我が漢民族は世界最大の雑種である」

ということは、漢民族そのものを、どういう基準で判定できるかというと非常に難しいんじゃないかと私は思います。

中国は漢字を使うけれども、地方によって発音も完全に違うじゃないですか。北京人が上海にいったらまったくわからない。上海人が広東省、福建省に行ったらまったくわからない。

私たちの場合、中央アジアの民族は、ほとんど言葉が通じます。
いちばん通じないところでも60%通じます。
通じないところでも、東京の人と青森の人ぐらいの差。

漢民族が一生懸命、自分たちは同じ民族であると主張すること自体、根拠のない話です。
民族を選択するのは中華人民共和国の公民の自分の権利である、と一応法律で定めています。

ウイグル人の状況に我慢できなくて、自分を漢民族にしたウイグル人もいないとはいえないですね。

 

Q.レジュメに、インターネットでは、ウイグル人を殺してやったと中国人が書いたというのがあったということを書いてありますが、どんな風に書いてるのか見たいと思ったんですが、そのURLがわかりましたら、お教え下さい。
他にも役に立つようなインターネットのホームページをご存知なら教えていただきたいと思います。


A.6月26日以後、映像がインターネットで流れ、ウイグルの学生たち、あるいはインターネットが使える人々が、非常に腹が立ったのは、中国人らが、「ウイグル人を殺した英雄万歳」とか「ウイグルのブタ野郎を全部殺せ」とかそういう書き込みがあったことです。その時点では書き込みはありましたが、7月5日の後、インターネットで探しても見つからなくなりました。

(消されちゃったんですね)

そうです。7月5日まで、中国のインターネットはインターネット警察に毎年何百億も投入してそれをやっているんですから、警察がわからないわけはないんです。それを放置して、今回事件が起きたらすぐ消して、ね。
今回のウルムチ事件は、国が意図的に引き起こしたことでもあると、いろんな面から完全に証明できます。


Q.youtubeの(中国人暴徒の)映像を見ましたが、不自然な感じがします。いろんな人が自主的に集まったにしては、持っている武器の長さとか形状が妙に揃っている。外に出歩くときはリュックぐらい背負いますよね。ウェストポーチをつけるとかペットボトルをもつとか。
なぜかみんな手に柄物をもって、荷物らしいものをもっていないのが違和感を感じたんですよ。
僕はこいつら、全部とは言いませんが、訓練されたプロが混じっているんじゃないか、と思ったんですが。


A.あの日出てきたのは、普通の民間人じゃない。国が、訓練された人々を出している。彼らが出てきて、町の中を歩いていた民間人も加わってきた。
あの人々が持っているいろんな棒は、武装警察しかもっていません。軍も持っていない。武装警察が治安を維持するために使う棒を何人か持っていたんです。あれを見て、絶対にあれは民間人じゃないと確信しました。
今ウイグル地域の中国人の間で広まっている噂でも、「あれは普通の人じゃない」と言ってるんです。


Q.1947年ぐらいだったと思いますが、東トルキスタンは独立しましたよね。清でしたか。どこから独立したのですか。

A.あのときは、ウイグル地域は誰かがコントロールするということはあまりなかった。きちんとした軍の装備をもっているのは、国民党の軍人だったのは間違いないです。47年モンゴル共和国を独立させた時点で、今の事件が起きているウルムチで、国民党政府と東トルキスタン政府の、連合政府を作ったんですね。ロシアの提案で。

Q.1950年に中国に併合されたとき、国際世論は何も反対しなかったのですか。

A.その話は、米英ソ3カ国の45年のポツダム宣言までさかのぼると思いますが、彼らは治める地域をお互いに分配した。あの地域がどうなるか、それはすべて、ロシアと国民党政府に任せるという形になっているんです。
あの時期、どの国がなくなって、どの国が拡張するか、ということを、世論が関心を持つ時期ではなかったと思います。なぜなら、第二次大戦が終わった直後ですから、みんな自分の国のことで精一杯で、他人のことに関心をもつ力がない時期だと思います。
私たちがそうなったということを世界の国々が知っていても、あまりそれを話す人はいなかったと思います。

ですから、堂々と49年に入ってきて、6年間、ウイグルの中の力強い、思想が前向きの人が全部逮捕されて、リーダーになれる人がいなくなってから、1955年、新疆ウイグル自治区政府を作ったんです。


Q.中華人民共和国に入るときに、ウイグルは自治州になるはずだったと聞いたんですが。

自治州の話は出たかどうか私ははっきりしりませんが、最初中央政府は新疆自治区という名前をつけるはずでした。
北京では、ウイグルから引っ張ってきたトップクラスのウイグル人が、ウイグルを治めるために仕事をしていました。
そういう人々がそれを拒否したんです。ウイグルという言葉を入れない限りは、成立できないと。

それで、もっと大きい事件が起こる可能性が出てきたんです。
彼らを民間に戻したら、中国共産党にちょっとやばい方向にいってしまう。

2年間議論して、最後に、ウイグル自治区ということで承知した。
それで新疆ウイグル自治区という名前が55年正式に発表され、今も言っています。


Q.ウイグルの話を聞いていると、ジェノサイドのようで、私はチェチェンのことをいろいろ聞いてきましたが、同じイスラム教徒であるウイグルの人たちもこういう事が続くと、イスラム原理主義のほうに走るのが危惧されるのですが、その点はどうですか。

A.私たちもそれを心配するんですが、世界が私たちを助けてくれない。中国政府に対して何も言わない。私たちがイスラム教徒だけで、自分を守るために、集団を組んだら、テロリストになってしまう。厳しい状況です。

今まで中国共産党のやってきたやり方だと、対話をしてよい方向にもっていく話はしないと思います。もっと圧力をかけてくる。
この前の事件で、いろんなジャーナリストが取材したところによると、ウイグル人は「恐れずにデモに行っても死ぬ。怖くて家にいても死ぬ。だったら私は自分の尊厳を守って死にたい。今のウイグル人には、命と神様しか残っていない。だったらこの命を民族のために捧げて死にたい」。

こういう思がたくさんのウイグル人が持つようになっているんです。

動物でさえ、自分を守るためにいろんな行動に出るんです。
私たちは人間ですから、人間的な考え方、生活ができないところで、そういう行動にでないとは明言できないです。

 

http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/152/ へつづく



 

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