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http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/86/ の続き
亡命ウイグル人医師アニワル・トフティー氏
みなさん、こんばんは。ご参加いただき、ありがとうございます。
高田先生に感謝の言葉を述べたいと思います。高田先生のおかげで、シルクロードの核実験の現実を世界にアピールできると信じております。
ケドゥープ・トゥンドゥップ殿下のお話に私たちは賛同いたします。同じく中国共産党の植民地にあり、同じ運命にあり、一体感をもたなければいけないという殿下のお話、私たちも同様に考えております。
私が1999年にイギリスに亡命したとき、私を迎え入れてくれたのは、イギリスのチベット国際支援センターでした。今まで私は、チベット関連の会議にはずっと参加してきました。
私はアニワル・トフティーと申しまして、東トルキスタンのコムル、中国の呼び方ではハミという町で生まれ、ウルムチで育ちました。今日は時間の関係で、今回のシンポジウムに関連することを申し上げたいと思います。
1973年、私が小学校4年生のとき、今もはっきり覚えていますが、ウイグルのウルムチ市で3日間連続して砂が降りました。そのとき、学校の先生が私たちに、「この砂は宇宙から降ってきたもので、地球のものではない」と教えました。私は高田先生のデータを見て、そのときの砂は核実験によるものだったと確信しています。
1993年私は弟の結婚式に参加するために、ふるさとコムルに一旦戻りました。
このとき、私はある方と会いました。その方はゴビ砂漠で羊を飼って生活している方でした。
彼は私たちに「私はある日神様とお会いしました」と話しました。私たちは彼に、どこでどういう形で神様とお会いしたのか、聞きました。3年前、軍人が彼のところにやってきて、この地域はあなた一人だけに羊を飼うことを許可するから、あなたは安心してやってください。最後はあなたが飼っている羊を私たちが全部買い取ります、と約束して帰ったそうです。それからしばらく経ったある日、ものすごく明るい光が輝きました。その光は太陽よりも明るいということでした。そのとき彼は、神様だ、と信じ、その場でお祈りをしました。
彼が話しているとき、私は彼の左側に座っていたので、彼の右側は見えませんでしたが、彼が帰るとき、彼の右側が見えました。右側半分は火傷の跡が残っていました。そのときは気にしなかったのですが、今は、彼が体験したのは核実験だったと確信しています。
彼が神様と会った直後、軍人が車でやってきて、彼の羊を全部買い取りました。それから、彼を病院に連れて行き、治療させたのです。
それから2年後に、彼は亡くなりました。
1994年、私が担当しているガン治療部門の責任者が私に「アニワルさん、あなたはウイグル人は漢人より体が丈夫だと言っているが、40床あるベッドのうち10床もウイグル人が使っている」と言いました。
ウイグル地域の鉄道局に所属する職員数は16万人で、そのうち漢民族以外の人間はわずか5000人に過ぎません。ウイグル人は5000人のうち10人がガンになっているのに、中国人は15.5万人のうち30人しかガンになっていません。そのことを私は初めて知りました。
その時から、私は個人的な調査を行いました。その結果、ウイグル地域でいちばん多い病気は白血病で、2番目がリンパ癌、3番目が肺ガンだということがわかりました。
ウイグル地域では、ウイグル人だけではなく、長い間ウイグル地域にいる漢民族も、発がん率がものすごく高いのです。
私の調査結果では、漢民族でも30年以上ウイグル地域に住んでいる人は、ウイグルの他の民族と同じく、発がん率が35%です。20年前後ウイグルに住んでいる漢民族の発がん率は25%に下がります。
10年前後の漢民族は15%に下がります。10年以下の場合は、発がん率は中国本土とほぼ同じレベルです。
中国では、すべての省に、かならず1つ、ガン専門の病院が存在します。
ウイグル地域のがんセンターは、1994年のベッド数は約400床でした。2008年には約2000床に達しました。
中国で一番人口の多い河南省のがんセンターの場合は、1994年のベッド数は約500床でしたが、2008年は約800床でした。
なぜ人口の少ないウイグル地域のベッド数が、これほど急増しているのか、なぜ人口が一番多い河南省ではあまり変わらなかったのか。これは重要なことを示していると思います。
ウイグルのがんセンターは今、中国で一番大きくなっています。
人口が少ないウイグル地域にガン患者が多い理由は、先ほどみなさんがご覧になったドキュメンタリーの映像でおわかりいただけたと思います。
みなさんに注意してもらいたいのは、このがんセンターで治療を受けられる人は、お金持ちか、政府機関の関係者だけです。ガンになっても病院にいけない人が多数いるだろうということは、十分想像できると思います。
1996年、ウイグルのコルラの鉄道病院で、私が手術を行うことになりました。その患者の親戚は手術後に、私を山の中にハンティングに連れて行ってくれました。ハンティングしようとしていたのは、非常に変わった体になったネズミでした。普通の人なら、ネズミがそんなに巨大化するとは想像できないと思います。
私たちはこれから、その謎をときたいと思います。
1984年、東トルキスタンの南ウイグルの方で、病気が広がりました。すべての道路が封鎖され、外部に人が出られなくなりました。
そのときは原因がわからなかったのですが、イギリスに亡命後、ある資料を見つけました。カザフ人科学者が書いたバイオハザードという本です。その本の中で著者はいろんな証拠を出して、80年代、ソ連に協力して中国共産党が我が祖国、東トルキスタンの南部で、生物兵器の実験を行ったということが書かれていました。中国共産党はウイグル人を生物兵器の実験に使っているのです。
ウイグル核実験に興味をもっている友達から前日メールがあり、中国共産党は東トルキスタンで、パキスタンが製造した核兵器の実験も行っていた、という情報が送られてきました。
1998年にインドが核実験を行った1週間後に、パキスタンも核実験を行いました。インドは長い間準備をして成功させましたが、それから1週間でパキスタンが成功できるわけがありません。彼らはもうすでに2回ウイグル地域で実験をやっていたのです。ですから、3回目の核実験を、インドの実験の1週間後に、自信をもって成功させたとのだと私は思います。
中国政府は1996年から核実験はすべてやめたと世界に宣言しました。
1991年香港のメディアによると、中国政府はロプノールで核実験を行うだけでなく、外国から処分料をとって外国の核廃棄物をウイグル地域の地下に埋めているそうです。その地域に住んでいるウイグルの人々は、これから100年あるいは1000年経っても核汚染の脅威のもとで生活しなければならないことになります。
先ほどみなさんがご覧になったドキュメンタリーを製作したとき、私たちはコムルの山の中で、木のサンプルを採取し、イギリスに送りました。その核放射線は、広島の放射線の300倍だったということです。
ご静聴ありがとうございました。
Biohazard: The Chilling True Story of the Largest Covert Biological Weapons Program in the World--Told from Inside by the Man Who Ran It (Paperback)
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千葉県在住