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日本はチベットから多くのことを学ぶことができる。優れた精神文化や深い歴史からだけではなく、中国に支配された経緯と命がけの抵抗運動から、我々が多くのことを学ぶべきだ。チベットが自由になるということは、日本が自由になるということだ。――このサイトの趣旨にご賛同いただける方は、サイト内の文章をご自由にご利用ください
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http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/64/  のつづき


モンゴル自由連盟党幹事長オノホルド・ダイチン氏
 

モンゴル自由連盟党幹事長オノホルド・ダイチン氏
オノホルド・ダイチン氏


ここに集まってくださった日本人の皆さん、それとチベット、ウイグルの皆さん、心から御礼を申し上げます。
南モンゴルがどこにあるのか、知らない日本人が多いのは事実です。モンゴルと言ったら、朝青龍とか白鵬、大相撲の方のイメージがくるんですね。しかし南モンゴルという地域もあって、いわゆる内モンゴル、中国共産政府の支配の下にあるモンゴル人もいるということです。私たちは今それを南モンゴルと言っています。

南モンゴルというのは、領土は118万平方km、人口は2300万人ぐらいで、その中でモンゴル人は中国当局の報道によれば420万人と言われていますが、実際は380万人ぐらいです。

チベット、ウイグルと比較すると南モンゴルの自由人権を求める運動は、そんなに知られていません。今年3月のチベットの事件で、日本にいるチベット人、日本人の方々が、チベットの悲惨な状況を訴えたことがきっかけで、南モンゴルのこともマスコミ、メディアに報道されるようになって、南モンゴルにも人権の問題、自由の問題、文化経済各方面でも被害を受けていることが訴えられるようになりました。

内モンゴル自治区は中華人民共和国の建国より前にできた自治区です。1947年5月1日に。
その当時は、自治政府の主席から議長から、自衛軍の司令官までみんなモンゴル人でした。しかし、この自治区ができた後、文化大革命までの20年の間に、だだんだん変わってきて、内モンゴル自治区というのは、主席だけはモンゴル人で、他はすべて漢民族が務めるようになりました。

この変化はどうして起きたのかということをを申し上げたい。
だいたい内モンゴルができあがった後から1966年までは、チベット、ウイグルに見せたいような本当の高度自治政府でした。しかし文化大革命のとき、一番大きな被害を受けたのは内モンゴルのモンゴル人たちでした。そこで行われたのは、中国共産党が行った計画的な事件です。その事件によって、内モンゴルのモンゴル人1万6222人が殺害され、拷問によって身体障害を受けた人は8万人に昇ります。内モンゴル人民党党員と名指しされた人たちは34万人を超えているんです。その当時の内モンゴルのモンゴル人は140~150万に過ぎません。
そうすると内モンゴルの人民党党員は5人に1人ということになって、それだけの割合で拷問されたということになります。実際に数はそれよりもっと多いです。たとえば、内モンゴル大学の調査によれば、文化大革命により当時の人民党員として殺された人たち、拷問に耐えかねて自殺した人たちは、5万人を超えています。
またジャーナリストの調査によれば、そのときの内モンゴル人民党員として殺された人は10万人にのぼると指摘されています。しかし中国政府は1万6千人だけが殺されたと言っています。
それはもちろん、中国政府の指導者であった鄧小平も文化大革命の後、殺された人を正確に数えるのは難しい、ということを認めています。文化大革命は間違っていたということも、共産党政府は認めています。

しかし、内モンゴルに対するそのときの政策、そのときの中央政府のやり方は、今もまったく変わっていません。
66年までは、内モンゴルの指導層の内モンゴル人は比較的多いです。しかし66年以降、まったく変わってしまいました。

それと、もう一つ、経済的なことについて述べます。
今は、中国は西部大開発という政策を行っている最中です。西部開発というのは今の少数民族、チベット、ウイグルに、内モンゴルを含めています。実際は内モンゴルというのは中国の北の方にある自治区です。しかし、今回の西部大開発の中に入れて、開発しているんです。
西部大開発というのは何かというと、それは、少数民族の地域の資源を強奪するものです。そして少数民族の地域に漢民族を入植させるための、政策です。

西部大開発で、内モンゴルでは禁牧などの政策が行われています。禁牧というのは、内モンゴルで放牧を禁じるということです。モンゴル人は昔から放牧して生活してきました。急にそういう政策を決めてそこに何千年も暮らしている人たちの放牧をやめさせて、町までいかせて、そこで生活させる。いきなり町に行ったモンゴル人達は、町の生活、商売や仕事ができませんから、今の激しい中国の競争の中で生活はもっと苦しくなってホームレスになる人まで出てきています。それが禁牧です。
それから、この地域の環境を回復するといって、そこ暮らしているモンゴル人たちを町に移住させています。強制的に移住させてそこで生活するようにさせる。しかし、それで、その地域の環境が本当に回復したのでしょうか。実際はそうではありません。彼らは我々を追い出して何をしているのか。そこでは内モンゴルの地下資源を掘っています。例えば、内モンゴルの西部の天然ガス石炭、中部地域の石油石炭など。

今は内モンゴルでフフホトなどが経済発展していると言っています。中国政府は内モンゴルは経済発展している、といっても、モンゴル人にはまったくその利益がきていない。そこに暮らしているモンゴル人は何の利益も得られず、もっともっと苦しくなっています。

もう一つは最近行われている内モンゴル人の教育、文化についてお話しします。
内モンゴルでは、小中学生を含めて、学生は1987年には38万人でしたが、24万人まで減ってしまいました。
モンゴル語の小学校の1年生の教科書は92年に6万ぐらい出版していたのですが、2006年は2万5千冊しか出版されていません。それではモンゴル人の人口は減ったのかというと、モンゴル人はだんだん増えています。
一部の学生は生活が苦しくて学校にいけません。
もう一つは学生たちは、仕事を見つけるため、モンゴル語の学校から中国語の学校に移りました。内モンゴル自治区の法律によれば、自分の言語で教育を受ける権利があるとはっきり書いていますが、この大学を出ても仕事を得ることはできません。
たとえば、内モンゴル師範大学に、会社が学生を採用しにきます。その条件はモンゴル語で卒業した学生たちは募集しないということです。

だから、私たちモンゴル人の文化を、経済を破壊したおかげで、中国は経済発展しているということです。中国政府の政策により、このモンゴル人の文化、言語を消そうとしています。
とても非人道的なことです。そのせいで、今の内モンゴルの2割のモンゴル人は完全に漢化されました。
自分の言葉さえしゃべることができない。

だから、私たちは、こういう状況を世界に訴えていきたいです。
もちろん、モンゴル人の力でこれを達成するのは時間がかかります。
しかしチベット、ウイグル、モンゴル、一緒になって連帯して中国政府の弾圧と戦っていくのは、新しい道ではないかと思います。

だから、日本人の皆さん、内モンゴルのことを、本当に理解していただいて、支持していただきますようお願い申し上げます。

ありがとうございました。


司会
内モンゴルの情勢については我々日本人はあまり知らないけれども、ウイグル、チベットと同じように、悲惨じゃ状態にあります。桜井よしこ先生が新潮45にお書きになったものにそのことが書かれています。



http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/66/ へつづく




櫻井よしこブログ
「モンゴル人ジェノサイド実録」




 

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