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JVJAチベット報告会
写真と歴史が語る隠されたチベット
~チベットに魅せられた4人の視点~
2008年7月21日、明治大学で行われた上記の報告会に行ってきた。明治大学はいつの間にか21世紀的な超近代的な大学に。過激派の看板はもうなくなっていた。
ICレコーダーで録音したので、不正確なところもあるが、テープ起こししたものを以下に。長いので何回かに分けて書きます。写真を使った説明が多いので、映像がないとわかりにくいところがあるかもしれませんが、ご容赦を。
司会進行の山本宗補氏(http://homepage2.nifty.com/munesuke/)が講演者を紹介。
石濱さんは、胡錦涛が早稲田で講演したとき、チベットTシャツを着てその上に革ジャンを来て、抗議にいったことをブログに書いている。
http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-date-20080509.html
ダライ・ラマの成田での記者会見。記憶に残るのは、常に笑み絶やさない法王が、声が震えるような、痛みさえこもっている表現をされるところがあった。「自治とは名前だけである、自治は紙の上にあるだけである」と話されたときだ。おそらく、そのあたりを政府を通り越して、一番日本の皆さんに伝えたかった本心だと思う。ダライラマ法王がそういうお気持ちを伝えた背景というか、実情を4人の方々のそれぞれの視点で報告していただきたいと思います。
「チベット騒乱はなぜ起きたのか」
フォトジャーナリスト 野田雅也氏
1999年始めてチベットにいった。その時は何も知らなかった。
中国からチベットに入ったとき、突然変わる変わり目がある。
大変美しい光景があった。東は草原、西は砂礫の荒野。
その中で、私が一番魅力を感じたのは、素朴な人々祈りの姿。
一日の大半を祈っている。祈りが生活そのもの。
東チベットのガルンガルゴンパというところ。チベット最大の僧院の一つ。尼僧中心に8千人ほどが修行に励んでいた。俗世間から離れた山奥で僧侶だけが修行をしている。
僧侶が記録した僧院が破壊される映像。
中国は表向きは宗教の自由を認めている。法律でも認めている。しかし私が行った2001年でも露骨な宗教弾圧が行われていた。私は、その時初めてチベットが圧制下にあるということを知った。そのことをきっかけに、私は失われていくチベットを記録していこうと思った。
中国政府がチベットで行ってきたこと。
チベット人の生活、チベット人の心、 そういったものを奪ってきた。たんたんと計画的にそういう政策を行っていく。
2006年7月に開通した青蔵鉄道。毛沢東が立案、計画がなされていた。貧しい地域を豊かにしようと2000年から西部大開発が始まった。これは多くの地下資源を運び出し、チベットに多くの中国人を移住させるために使われている。鉄道建設では、漢民族の出稼ぎ労働者に様々な優遇政策をとった。低価格あるいは無償で土地を提供する。支援金が贈られる。それで開発ラッシュで一攫千金を狙う漢民族がチベットに流れ込んだ。
チベット鉄道は、まるで日本が満州鉄道をつくって開拓移民を送り込み、地元の人から土地を取り上げ、我々のものだと主張したのと同じ状況。
ラサのもっとも聖なるジョカン寺。3月に蜂起があった。
鉄道開通後、ラサの人口構成は逆転。人口35万人のうち、チベット人は15万人。
ラサ市の郊外の、草原だったはずのところに新しい街ができていた。3年前はなかった。
鉄道ができたラサだけではなく、今回チベット東部に行ったら、まったくチベットの面影がない街ができている。
漢民族が入ってくると、チベット人の土地、職業が徐々に奪われていく。
アムドから来たおばあさんは、漢民族が多い街で物乞いをして生きている。
寺を追い出されて、路上で物乞いをしている僧侶もいる。
年に1回の競馬祭の映像。みんなが楽しみにしている。お祭りはその土地の風土や習慣が凝縮されたもの。しかし、今の競馬祭。紅い旗がいっぱい見える。共産党員が出席するようになった。共産党員のためにチベット人が催し物をしているようになってきた。
入場シーンでは先頭の僧侶が紅旗を掲げ、次の人は愛国愛共団結進歩と書かれた旗をもっている。愛国教育の一環。共産党に忠誠を誓うための教育も進められている。
遊牧の様子。ヤクの写真。ヤクのフンを乾燥させて燃料にする。
遊牧民の伝統的な生活が変わってきている。2006年から本格的にチベットに導入された定住プロジェクト。特定の住居をもたない貧しいチベット人を支援するために、政府が住居を与えるというもの。数千年受け継いできた遊牧の暮らしを半ば強制的に、地域によっては完全に強制的にやめさせて、定住させ、チベット人を農耕民へと変えさせている。
集合団地。草原で遊牧をしていた人が突然こんなところに閉じこめられる。これまでは家畜を放牧していれば食べ物はあった。ヤクのミルクがあり、ミルクからチーズ、バターがつくれる。ヤクの肉も食べられる。すべての生活がうまくいっていた。しかし生産手段を失うと、生活の糧がなくなる。
私が行ったところは、強制ではなくて、共産党員が遊牧民を説得して回っていた。大変な遊牧生活をやめて、豊かなところで定住した方がいいと。家1軒あたり90万円がもらえる。大金なので、つられる人もいる。そのうち半分は住宅費としてとられる。残り45万円あるが、実はこれは言葉巧みに誘われるが、全部貸し付け。無利子だが90万円の借金を背負うことになる。家畜を売った彼らは職もない。
私も驚いたが今年4/25の人民日報で、この2年間で54万人がこれまでの伝統的な生活をやめて住宅に定住。チベット自治区の住民274万人。5人に1人は定住させられている。彼らはすべて借金を背負っている。
こうしたチベット人の管理統治がチベット全土で着々を進行している。
子供たちの写真。教育問題は重要。チベットの子供たちが通う学校は中国政府が作る。その中でチベット人は、立派な漢民族になるための教育が進められている。授業のほとんどは中国語。チベット語も教えてもらえるが、我々が英語を習うように、外国語のような扱い。彼らの教科書を見てびっくりした。小学1年生の教科書の最初のページが、共産党を称える内容。小学校の教育の中で漢化政策が行われている。(教室の壁には、マルクス、エンゲルス?、レーニン、毛沢東の肖像)。
ラサの小学校の写真。今ではチベットの親たちは積極的に中国語を教えるようにしている。家の中ではチベット語、外では中国語を使いなさいというようにしている。経済基盤が中国に握られると、中国語が話せなければ、彼らは将来、いい仕事につくことができない。子供たちは次第にチベット語と疎遠になっていく。聞くことはできても書くことができない若者たちが非常に増えている。
中国社会の中で民族の証である言語が失われつつある。
このことは民族がなくなってしまうという危機感を募らせてる。
知り合いのチベット人はこういった。「近い将来、チベットの伝統、文化は博物館でしか見られなくなるよ。土地、言葉、伝統が奪われ、もうすぐ我々は中国の中の一つの民族にすぎない存在になってしまうんだ」
多くの人がチベットが失われるという危機感を強く抱いている。
しかし、現代の中国という大きな力の中で、彼らは耐えていくしか方法はなかった。
ヒマラヤ山脈の写真。エベレストがある。平らなところは、チベット人が亡命によく使う標高6000mのナンパラ峠。毎年2000~3000人がインドに亡命。教育の問題が一番大きい。
チベットの中で行われている差別もある。漢民族にチベット人はすごく見下されている。チベット人として生きるために、自分たちの尊厳をかけて、ヒマラヤを越えていく。
親指が変色し、爪が剥がれた足の写真。彼らは氷河の上を歩き、雪を食べて逃げてくる。中国の国境警備隊に逮捕されたり、射殺される人は少なくない。クレパスに落ちる人もいる。でも危険を冒してもチベットを去らなければならない状況にある。
ダワ君19才。アムド(青海省)出身。青海湖(ココノール)でヤクの放牧をしていた。貧しかったので小学校を中退し、ヤクや羊の世話をしていた。読み書きもできないので、もう一度学校にいってやり直したい。しかし、中国占領下のチベットではそれは難しいので、亡命した。
彼の出身地、青海湖は、1964年から、87年まで原爆実験と水爆実験が繰り返し行われていた。これまで国家の機密とされてきた第9研究所の写真。この工場は、核弾頭を接合していたところ。これは、ソ連の支援によって作られた核融合の施設。
ダワ君もそういう状況で放牧していたのだろう。
あの核施設はそのまま放置されている。86年に研究員が撤退したときは、物はそのまま置き去りに。チベット人は、珍しいものがあるから、みんな取っていった。
ダラムサラであったジャンバ・タシさん。元僧侶。94年に逮捕され、12年間監獄に。「チベットに自由を!」と叫んで張り紙をしたのが原因。彼の寺は文革で破壊。80名いた僧侶が20名に減らされた。その後、さらに12名に減らされる。そして彼はお寺のために立ち上がった。12年間でものすごい拷問を受けた。最初の1ヶ月間は1日3回の拷問。殴る蹴る、極寒のグラウンドに立たされる、電気棒を口に入れられる。全身の皮膚が剥がれるかのような衝撃がある。この写真では右目を押さえているが、拷問で棍棒で後頭部を殴られたとき、眼球が飛び出し、今も右目が見えない。
他にも凄まじい拷問の話があった。大量の血液採集。火あぶり、猛犬をけしかける、女性囚(尼僧)に対しては性的暴行、避妊手術。
ケイサン?君(6才)。亡命者の1/3は子供たち。彼の将来、チベットの未来を案じて、インドでチベットのことを勉強しなさい、とお母さんたちが送り込む。
難民の子供たちが描いた絵。チベットで起きていたことを描いている。公安がダライラマの肖像を踏み絵に使い、周りの僧侶が泣いている絵。
ヒマラヤを逃げてくるときに、国境警備隊に発砲されている絵。
今年3月一斉蜂起が起きた地点。そのとき私はダラムサラにいた。とうとう始まったと思った。
中国はダライラマが画策したというが、これだけ多くの地域で同時多発的に起こるでしょうか。これまでチベットを見てきたが、非常に不満不安が高まっていた。心の自由を奪われた人は立ち上がらざるをえなかった。
3月10日の写真。49年前の3/10。ラサを占拠する中国軍に対してチベット人たちが立ち上がった。そのときダライラマはインドに亡命。その後8万6千人のチベット人が虐殺されたと聞いている。8万人がダライラマの後を追って、ヒマラヤを越えていった。
インドでのデモの様子。彼らは難民でインドにいて、叫ぶしかできることがない。叫んでも叫んでも、心の中からわき上がってくる怒りを抑えきれなくて、少しは過激な行動に出ることもある。
これはラサで何があったのかを劇で説明しているところ。
今年の3月10日。ダラムサラからラサに平和行進隊がいく計画を立てていた。今話題のチベット青年会議がはじめたもの。インドの警察によって100名以上が拘束された。
映像をみてわかるように、興奮はしているが、暴動ではなく、平和的な行進。
7月11日に東チベットからもどってきた。
ラサは外国人は受け入れたが、他は封鎖されたまま。
私もいくつかの街を通ったが、チベット人がすんでいる街の入り口には、土嚢がつまれ、機関銃を構え、軍隊の検問がある。
ホテルのカーテンの隙間から隠し撮り。
ゾルゲ?という街。みんな黒いマスクをしている。寒いときや砂嵐のときはそういう格好をするが、今の時期こういう恰好をするのは奇妙。顔を見せられないから。
ラプラン寺。今回も大きなデモがあった。入り込もうとしたら捕まった。この写真は拘束されたパトカーの中から撮ったもの。せっかくだから一枚撮らせてくれといったら、何とかお坊さんを撮らせてくれた。
これは別のデモが起こったデゴン?という地域。2月にも大きなもめ事があった。2月に2万の軍隊がやってきて、催涙弾をチベット人にバンバン発射し、街が真っ白になった。この街でも多くの犠牲者が出た。
もともと600人ほどの僧侶がいたが2月の衝突で300名が拘束、3月の蜂起で150人が拘束された。150人ほどの僧侶が残っているはずだが、ほとんど僧侶の姿は見かけなかった。
この写真の場所、3月以降、武装警察が軍隊が夜な夜な僧侶の部屋にやってくる。ここではたくさんの証言を聞いた。30万円ほどのお金を取られた。パソコンを取られた。強盗です。僧侶たちは抗議したいが何もできない。抗議をすればさらなる弾圧を受けるだけ。
このお寺の周りを回りながら、マニ車というものを回すが、このマニ車を回しているおばあさんは、私に対してお祈りをしている。彼女が何を言ったかというと「私はもうダライ・ラマにはお会いできません。もうお会いできないのです」と繰り返し、私の前でお祈りをはじめる。しかし、外国人の私と老婆が接することは非常に危険。私のほうは直接何かされることはないとしても、老婆の方は後から公安や警察からどういった仕打ちをされるかわからない。
今回チベットで起きたことを中国は歪曲してチベット人に教育している。
中国は3月14日の暴動のことだけを言う。暴徒によって漢民族が殺された、平和的なデモではなかった、ダライ・ラマの画策だった、と繰り返し言わせている。文革時と同じようにステージに立たせて、一人一人民衆に向かって紙に書かれてあることを読み上げなければならない。その後ろには共産党員が立っている。
今回のチベット騒乱に関して、たくさんのデモが日本でも起きた。このことは私も非常に驚いている。世界中で多くの人が声をあげてくれた。しかし、残念ながらチベット内部の人たちはそういうことをまったく知らない。中国はプロパガンダで、中国の武力鎮圧は世界中の国々に評価されている、我々の判断は正しかった、とチベット人に伝えている。チベット人も実はそう思っていた。それぐらい情報統制は徹底している。
今もまだデモが起きている。四川省では拘束される僧侶が後を絶たない。その声は自由を手に入れるまで、決して止むことはないと思う。
亡命政府の発表では今回の死者は、2百?人、拘束者は5000人以上となっているが、これは身元が確認できた人のみ。行方不明者が相当数いると言われている。
今回の件で、皆が口を揃えていう。文化大革命の時代が戻ってきたようだ、と。
あと数回つづく
http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/28/ へ続く
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