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今はなき「諸君!」2008年12月号の特集は「任せていいのか、小沢一郎に」というものでした。民主党が政権を取る、10か月ほど前に発売された号ですが、小沢の人間性がよくわかるエピソードがたくさんでてきます。
最近の小沢の傲慢不遜な言動は、その人間性からきているという点で、一貫しています。
その特集の中の、佐々淳行氏の記述から一部抜粋します。
威張る、叱る、まぜかえす。人格的に評価できない
初代内閣安全保障室長 佐々淳行
1987年11月、竹下内閣が樹立、小沢官房副長官が着任した。
中曽根前内閣で新設された筆者ら内閣の五室長との初会合の席上、小沢副長官が初めから怖い顔で「皆さんは私を“国内派”だと思っているだろう。私を過小評価するな。私はワシントンに太いパイプをもつ“国際派”だ」と言い出した。室長たちは驚いて顔を見合わせた。どういうこと?
やがてその意味がわかった。
日本語の達者な、米国籍の美人秘書が官邸中枢の副長官秘書官室に座り、在任中そこにいたのである。しかも彼女の妹も外国メディアの日本特派員ときた。
書類はすべて秘書室を通る。これでは情報が筒抜けではないか。少なくとも“国際派”の常識に反する。
ワシントンの“太いパイプ”とは、そう太いともいえない国防総省の日本語のできるジム・アワー日本課長だった。
彼の上司、アーミテージ国防次官補は筆者に笑いながら言った。
「私は親日家だが、英語の達者な美人の日本人秘書を秘書室に置く男気はないね。KGBや公安部の好餌となるからね」
慶応卒で、日本大学院で司法試験を目指して挫折した小沢副長官は、官僚、特に東大出のエリート官僚に強いコンプレックスとその裏返しの烈しい支配欲、対抗心、見下し、自己肥大症的自己顕示があったようだ。
とにかく、威張る。頭ごなしに叱る。一々まぜかえす。やたら虚勢を張る戦中生まれを代表する権力欲の強い“壊し屋”だ。
ある時「3時間割くから安保問題のレクをせよ」との下命で、2人サシで進講した。
その言語は粗暴、態度はぞんざいで、一々反論し、まぜかえす。辛抱して続けているうちに、靴を脱いで官房副長官室の応接セットのガラス机の上に両足をのせ――これ位は許容範囲と思っていたら――靴下をとって裸足の足指の水虫をかき始めた。明らかに腹をふくらますイソップ童話「愚かな蛙」の蛙のごとき姿の不作法である。
名にしおう小沢一郎とは、こんな人物かとそれ以来筆者は彼を人格的に評価していない。
ある日、遂に五室長との間に紛争が起きた。
官邸記者クラブのオフレコの副長官内話で、「五室長は皆、無能で、中曽根・後藤田の手先。全員クビをすげ替える」と、後任者候補の氏名まで挙げて語った…と翌日の毎日の朝刊が報じたのである。五室長は怒った。
辞表懐に、小渕長官、小沢・石原(信雄)両副長官を昼食に誘い、おしぼりが出たとたんに的場順三内政審議室長が小沢副長官に向かって直言諫争を始めた。
顔を真っ赤にして憤った小沢副長官の怒声は、中曽根・後藤田に選ばれた歴戦の五室長には通じなかった。
猛反撃を受けて黙ってしまった小沢副長官に止めを刺したのは的場室長だった。
「我々を無能だとおっしゃるが、中曽根・後藤田の下では立派に機能しました。それが機能しないのは、上の方の御器量の問題です」と言ってのけたのだ。
一同辞める覚悟で机の整理をしていたら、筆者は竹下総理に呼ばれた。
「貴方が先任だから私の意思を4人に伝えてください。中曽根総理同様に私を続けて補佐してほしい。5人の将来は私が保証する」との本領安堵の言葉だった。
だが、メンツ丸潰れの小沢氏の憤りは烈しく、特に的場氏は目の敵にされ、人事上のリベンジを受けた。
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千葉県在住