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日本はチベットから多くのことを学ぶことができる。優れた精神文化や深い歴史からだけではなく、中国に支配された経緯と命がけの抵抗運動から、我々が多くのことを学ぶべきだ。チベットが自由になるということは、日本が自由になるということだ。――このサイトの趣旨にご賛同いただける方は、サイト内の文章をご自由にご利用ください
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http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/69/ のつづき


司会(会場からの質問)
各民族の方の最終目標は何ですか? 独立を勝ち取ることなのか、自治権の拡大等であり独立を求めるものであない、文化伝統自由が守られれば、それでよいのか、独立か否かという質問なんですが、チベットの方から順番に…。

亡命チベット人二世ツェリン氏
みなさんご存じのように、チベットの社会の中では高度な自治だけでよいのか、完全な独立を目指すべきか、という二つの大きな議論があります。この議論は特に1987年あたりから激しくなって、亡命政府がいままでやてきたのは中国の中で高度な自治が得られれば(もちろんチベット人が住んでいる地域全体を一つの地域としてということですが)、とそれが交渉の材料になっているんですが、残念ながら中国の方がいままで誠意をもって交渉していないのが現状なんです。

これは私個人の意見であり、このような意見を持っている人も結構いるんですけれども、私はやっぱり独立を目指すべきだと思います。その理由は、私個人が今まで生きてきて、心境からいえば、あなたは何人と言われたとき、私に唯一あるアイデンティティーは常に変わらない。いろいろな国に住んできたんですが、私が言いたいのは私はチベット人であると。その一言ですませたい。でもすませられない。なぜなら私が住んでいるところに溶けこまなければならないし、パスポートを取らなければならないし。

シッキムに6才まで住んでいたんですけれども、周りの子供たちと遊ぶとき、自分のことをチベット人だというふうに言ってきた。シッキムに生まれてシッキムに住んで、周りの人たちと毎日交流しているんですけれども、でも自分はチベット人という来歴をもっている。あとその後でインドに住んで大学まで行ったんですが、それでもインド人と遊んだり、周りの人と話しているときも、自分のアイデンティティーはチベットにあります。

その後モンゴルに行きました。非常に生活習慣も似ていますし、民族的にもチベットとお互いに共感を持つような民族なんですけれども、それでもそこで私はチベット人という来歴が一番強かった。今、私は日本のパスポートを持っています。日本国民になっているんですけれども、あなた何人?と聞かれたとき、日本人とは言わないと思う。それは日本人のことを嫌いなわけでもないし、尊敬しないわけではないし、どの民族にもそういった気持ちがあるわけじゃないんですけれども、自分の心の中にあるアイデンティティーはチベット人、というところが一番強い。

ではそのチベット人といったようなアイデンティティーには、まず一つは国家というものが必要だと思うんですね。言語も必要だと思う。あと国際社会に出ているときは、その民族であることを証明する書類が必要です。もし中国の中に残ってしまった場合、チベット人とは言えないと思うんです。中国人と見られることほど嫌なことはない。私にとっては。ですから中国人にはなりたくない。個人的経験からすれば。

でもチベットというものをそのまま存続させるには、独立しなければ…。中国は1930年代から思想としては、マルクス・レーニズム、共産主義を思想にして、それでどういう民族であっても同じレベルで、対等に一緒に連邦を組みましょう、というような考え方があるんですね。
ソ連がそれをやってきたんですが、中国もそういった言い方はしているんですが、実際はそうではない。漢民族が頂点に立って他の民族は支配されるというような立場の連邦であれば、彼らはいいんですけれども、それは連邦というふうにはいえないと。
この20、30年の間、中国は一応、連邦、どの民族も平等、というような形は見せてきたんですが、今回五輪の開会式を見てわかるように、完全に漢民族なんですよ。そこは。漢民族が支配する連邦みたいな感じになっているから、たとえば高度な自治というふうに名前が残ったとしても、もちろん政治は彼らが押さえるし、軍があるから今日はOKといっても、明日気分が悪くなれば、きのう言ったことを覆して、また入ってくるといったら、私たちはどうしようもないんですね。
そのような交渉は非常に弱い交渉になっていくので、永遠にチベットとして存続するには、独立を目指すしかないと思います。


世界ウイグル会議副総裁セイット・トムトルコ氏
今まで私たち三民族が同じ運命をたどってきたのは、自治区という点にあるんですね。自治区という帽子だけを私たちの頭にかぶせて、今まで2時間ほどかけて話されてきたことすべてが、自治の名の下で行われているのです。
共産党政権の下で、独裁の思想の下で、自治権というのはどの程度のものなのか、それを私たちは検討する必要があります。
あまり長く話せませんが、お話ししたいことはただ一つ、どの民族も自分の運命は自分で決める権利がある、ということです。
私たちの方針は、誰に対しても悪意で対処するものではありませんが、悪意を持つ人間に対し、私たちは抗議で回答することもできないんです。
どうもありがとうございました、


モンゴル自由連盟党幹事長オノホルド・ダイチン氏
モンゴルもまったく同じですね。独立というのは何を意味しているかということを、私たち南モンゴル人の60年間の歴史は私たちに教えてくれたんです。
モンゴル人は1911年から45年まで独立のため戦ってきたんです。しかし、共産政府、共産主義、ロシア、中国に騙されて、弾圧、融和させられて、独立しなくても共産主義を信じたら、平和で一緒に生活をできるのではないかと判断して、自治政府なったんです。

しかし、この60年間で、私たちは、中国と一緒にはなれないということがわかったのです。
だから、ここでいうのも大変失礼なんですけれども、私たちのおじいさんお父さんの選んだ道は、間違っていたということです。何で中国の中のモンゴル人は、中国の一部なのに独立する必要があるのだ、という人がいるかもしれませんが、皆さんご存じの通り、南モンゴルは今のモンゴル国の一部です。モンゴル国こそ、私たちの祖国です。かつて南モンゴルは、好きになって中国といっしょになったのではなくて、大国の弾圧の結果、こうなったのです。

日本人もよく知っている、中国が誇る万里の長城。これは何も意味しているのですか。中国人はそれを中国の偉大さを世界に知らしめるために作った物ですか? そうではないですね。漢人とモンゴル人は何千年の昔から違う国であったことを証明するものなんです。だから私たちの独立の考え、希望は変わらないです。

もちろん60年間の洗脳教育で、モンゴル人の一部に、中国の中でも私たちは幸せな生活をすることができるのではないか、という考えもあるかもしれませんが、それは間違っているということを、この60年間の歴史は私たち南モンゴル人に教えたのです。だから私たちも、南モンゴルのモンゴル人が生き残るための、一番正しい道は、独立への道だと思っております。
 

司会(会場からの質問)
モンゴル共和国と南モンゴルの人たちはお互いをどのように思っているのか、モンゴル共和国には南モンゴルの人たちを助けようという動きはあるのですか?

ダイチン氏
モンゴル国は独立国で、南モンゴルは中華人民共和国の自治区です。モンゴル国の人たちは、今の南モンゴルの人たちについて何を考えているのかということは、モンゴル人の中でもとても話題になっています。特に南モンゴルの人たちの中でとても関心のある問題です。モンゴルも南モンゴルも同じモンゴル人で、昔は言語、文字も一緒でしたが、この60年の間に、モンゴルはロシア文字を使うようになりました。受けた教育も違います。モンゴル国は、ロシアの支配の下にいたかもしれませんが、10年20年の間に民主主義の国になった。今から自分の民族の歴史を正しく理解する可能性が出てきたということです。
しかし、南モンゴルの人たちの考え方はまた違うわけです。私たちの受けてきた教育は中国の共産主義教育です。共産主義教育というのは実は漢民族の漢文化の教育です。他の民族は、中国の一部であり、漢民族の下にいるべきで、別れてはいけない、ということを、繰り返し教えられてきたのです。
だから、一部の南モンゴル人は、内モンゴルというのは中国から分離してはいけないと思っています。しかし、それ以外の人はそう思っていない。南モンゴル人のモンゴルに対する思いは、とても熱いし、期待しています。いつかモンゴル国が力をもつようになって、私たちを受け入れるのではないかという、夢のような期待を抱いているモンゴル人もいます。

歴史的にみてもそうでした。たとえば1945年、第二次世界大戦が終わった後、内モンゴル人はモンゴル国と一緒になろうとして、活動したんです。南モンゴルの東の一部で、東モンゴル自治政府を作って、そこでモンゴル人は署名をしていたんです。そんな活動をしていたんです。モンゴル国と一緒になって大モンゴル国をつくるべきではないかと署名させたこともあります。最終的には中国に入って、それはやめさせられたんですけれども。だから、今のモンゴル国の若い人たちは、内モンゴルに対してそんなに理解は深くないかもしれないですが、知識人の中には、やっぱり内モンゴルはモンゴルの一部ということを確かにわかっています。ありがとうございました。


ツェリン氏
私モンゴルに13年間住んだことがありまして、すごく面白いのは、内モンゴルの人に対する外モンゴルの人たちの気持ちというのは、どういう政治状況にあるかによって変わります。
84年に初めてモンゴルにいったときは、まだ共産主義国家だったので、内モンゴルの話は、そう?知らない、という形で、普通の学生の人たちも話題として話さないものでした。
そして90年代からモンゴルは独立して民主主義国家になって、一時期非常にパンモゴリズムということが流行して、だいたい外モンゴル人は内モンゴル人を助けてあげたいという気持ちはあるんですけれども、でもその政治的状態によってパンモンゴリズムの気持ちが強いときはバッと出るんだけれども、でないときはシラっとして、できれば助けるんだけれども、できなければしょうがない、というところもあったりするんですね。その辺は、そのときの政治状況によって特に若い人たちの気持ちは変わりやすい、というところを私は見ました。


司会
ダイチンさんは難民申請の署名を集めています。
北京五輪後の人権状況には、私が翻訳したものに詳しく書かれています。そちらをお読み下さい。
食の安全の問題について、少数民族が食べているものは、日本人が食べているものより安全なのか。

日本ウイグル協会会長イリハム・マハムティ氏
今日本で中国製の食品の問題が出てきていますが、こういう問題は私が生活していた地域でも、中国人の方々も、そういうことは十数年前からいっぱいあって知っているんです。そういう情報は外に出ないですけれどね。ミルクの問題は、十何年前ウイグルで起こったことと同じです。そのときも今と同じように、ただ工場の責任者が変わるだけです。生産するルートまたその後の生産するものも前とあまり変わらないです。
チベットやウイグル、少数民族地域と言っても、漢民族も生活しています。でも彼らは人の命を大切にすることよりも、お金を儲けることに熱心です。税収を増やすと、地方の官僚が中央にいけるので、彼らにとって人間の命はそんなに大切なものではないのです。


http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/71/ へつづく



 

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