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http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/21/ の続き。
竹内正右氏の講演内容、以下メモしてきたことを書きます。途中で話がわき道に入ったときのものもメモしているので、話が前後つながらない部分もあります。聞き間違いがありましたらすいません。
上映された映像で、ダラムサラの雰囲気が伝わってきました。司会の田村仁氏もフォトジャーナリストで、ところどころで、竹内氏の説明の補足をされていました。
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アダーホルトは1957年からチベットのカンパ族に対して軍事訓練を行った責任者。
http://www.korean-war.com/Archives/2000/10/msg00043.html
ラオスのロンチェンベース、タイのタクリベースに集めて、沖縄、コロラド州キャンプ・ヘールへ移して訓練していた。
1960年嘉手納から飛び立ったU-2がスベルドルフスクでソ連に撃墜され、チベットへの支援を一旦中止。このとき14000人のカンパ族を投入していた。補給が途絶えて、餓死者、凍死者が出ている。
その後、1971年にキッシンジャー、ニクソン訪中で米中国交樹立、カンパ族に対する補給がなくなる。ネパールが中国寄りになり、チベット武装勢力を1970年代半ばに武装組織の抵抗運動が終わる。
1959年のダライ・ラマ脱出の際、アメリカ人アントニー・ポー(Anthony A. Poshepny)が協力していた。チベットからネパールに毎年1200人1300人ぐらい脱出してきていたが、今年3月以降は3,4人しか成功していない。
ホーチミン・ルートの9割はラオスを通る。ここに米兵を投入すると犠牲が大きくなるので、モン族を使う。まだ7000人ラオスに残っている。兵士が2000人で残りが非戦闘員。
モン族については、1999年毎日新聞社から「モンの悲劇」が出ている。
雲南省に住んでいたモン族が中国の弾圧で南下。中国ではミャオ(苗)族と呼ばれている。ミャオというのは野蛮人という意味で、ビルマやタイでもメオと呼ばれている。ラオス・ベトナムでは、モンと呼ばれている。
映像の解説
・ダラムサラでのラサ蜂起41周年のダライ・ラマの演説の映像。
・チベット子供村の子供たちの様子。少年少女、若い尼僧が「パンチェン・ラマを返せ」デモをやっている。ダラムサラは1900mの高度にあり、元イギリスの植民地だった。
運動場で子供たちがチベットの悲劇と希望を描いた演劇を行う。たくさんのクロクビツルの仮装をする子供たち。足は竹馬になっている。クロクビツルはチベットにたくさんいたが、中国人による環境破壊と乱獲で今は5000羽程度しか残っていない。様々な動物を描いた布をもっている子供たちもいる。ドクロのマークの横断幕(中国を意味する)が入ってくると、動物たちが逃げ出す。それからドクロが燃やされ、運動場の中央に大きなチベット旗が翻る。
・ナムギャル寺でのチベット女性連盟の集会の映像。チベットでの犠牲者への追悼と、戦士アデさんの演説。この女性は戦車に立ち向かっていき、逮捕され、労働改造所を転々とした。99年来日している。
・タンカ(仏画)を習っている青年たちの映像。チベット本土ではそういうことができない。
・義足の青年たちへのインタビュー。足、指のない青年たちが多い。山越えのための装備もないので、凍傷にかかる。厳冬期でないと歩哨に見つかりやすく、また川が凍結して渡りやすいので、その時期に逃げてくる。凍傷だけでなく、滑落する人も多い。
・ダラムサラに再建されたノルブリンカ宮殿(設計者は日本人中原)。ダライ・ラマ脱出のときは、大切なものを持ち出せなかったが、その後、いろいろな人が持ち出してきていた。
・臨時学校の様子。各国の支援でドミトリー(寮)が建設された。中国は残された両親に、子供を戻せと強要している。校長は以前武装組織に加わっていた。昼食の準備でチベットの餃子モモ。チベット旗の中央の黄色い丸の中にダライラマの絵がある。学校は粗末で、屋根はトタン。天井の扇風機が回っており、暑そう。
・チベット歌劇ミラレパの映像。観客多数。2000年10月14歳のとき逃げてきたカルマパ17世を、歌舞団が迎える。白人の幼い子供の僧もいる。ダライ・ラマはカルマパに「危険を冒してよくここにきてくれました。ミラレパはカルマパには難しかったのではないか。このように伝統舞踊を守ってくれている方々に感謝している。
スライド解説
・89年北京、天安門事件で炎上した装甲車の残骸の写真。時間的にはチベット蜂起が天安門より先に起きている。89年1月にパンチェン・ラマ10世が死去。胡錦涛の前で共産党批判の演説を行った数日後である。3月ジョカン寺前で大規模なデモがあり、3月7日に戒厳令。この時の業績で、胡錦涛が鄧小平に中央委員に抜擢された。
・黒こげの成都の循環バス。
・ポタラ宮前の公園。有料になっている。
・ラサのキチュ川の貯木場。伐採された木がたくさんつまれている。日本にも輸入されている。高山の木は植林が困難。
・ポタラ宮前に展示されたMig15(竹内氏はMig19と話していたがMig15だった)。チベット軍掃討に使用された。
・ポタラ宮前の五星紅旗。撮影の1カ月後、タシ・ツェリンが中国国旗を引きずりおろし、チベット旗を揚げようとして逮捕された。
http://tibet.turigane.com/deathcase.html
以前は旗の位置に、木があった。
・ポタラ宮の最上部に五星紅旗。
・ポタラ宮上部から撮影。ポタラ宮の前に、ショルという職人たちの住まいがある。今は、ショルは取り壊されて、革命博物館になっている。解放前のチベットの酷さや、中国がどれだけチベットに貢献したか展示されている。
・?寺 銃撃で、26体の死体が運ばれるのが目撃されている。オーストラリアのブラウン議員が中国に質問しているが返事なし。
・デブン寺の壁に書かれた毛沢東の絵。「偉大な領袖、偉大な舵取り毛主席」と書かれている。正面から見ると立派だが、中は文革で破壊されたまま。
・ジョカン寺。寺内を人民解放軍兵士が巡回している。ダライ・ラマの写真がはがされた跡がある。僧侶は愛国教育を受け、反対すると追放させられる。第2次文革が進行中。
・ガンデン寺。ゲルク派の拠点。来年600年だが、ほとんど破壊されている。中央部分だけきれいに修復されている。観光客のため。僧侶の修行ができる場所ではなくなっている。
1972年にチベットで大地震があった。このときは凶作で3回目の飢饉。この秋も飢饉が起きるだろう。農民に無理難題。ダライ・ラマの写真をもっていたら、大麦を植えさせない。射殺しても家族に遺体を渡さず、焼却して証拠隠滅する。
・ジョカン寺の中庭。第5ゲストハウスと呼ばれ、人民軍用養豚場となっていた。あちこちから仏像をあつめて破壊して、ここに山積みにした。
・シガツェのタシルンポ僧院。数年後シガツェまで鉄道が延びる。パンチェン・ラマ(ノルブ)が日本製の車で入ったが、シールが貼ってあり、撮影できなかった。
・初代チベット王、ソンツェン・ガンポ王の墓の写真。漢字で「蔵王墓」と書かれている。観光スポットになっている。中国の小学校の教科書には、チベットに嫁いだ唐の皇女がいかにチベットに文化をもたらしたか、ということが書かれている。
・97年始めてダライラマが台湾訪問したときの写真。台湾には50万人のチベット仏教徒がいる。今後台湾ではスノーライオン旗に対する締め付けが始まるだろう。
・5/6、5/8の神宮、早稲田でのデモの写真。早稲田は胡錦涛の出身大学精華大学と提携している。
最後のお話
お寺を追放され、凄まじい数で僧侶の自殺が増えている。
トンコル村では30人が射殺された。
チベット最大の仏教学院があるセルタルは、党、統一戦線からお金をもらった入植者が破壊して入植。
もともと核兵器関連施設はココノール湖付近に集中していたが、ソ連からの攻撃に対して脆弱なため、四川に移した。
チベット内は収容所がたくさんがあるが、今回、青蔵鉄道で、逮捕したチベット人が各地の労働改造所に運ばれた。震源地付近に4個所労働改造所があり、百数十名が連れてこられた。
労働改造所はソ連の監獄制度を参考にして作ったものである。今回の地震の被害者は8万人と言われているが、労働改造所にはその数倍がいただろう。
中国の~農場は労働改造所のこと。ダプチ刑務所は大工場になっている。
チベットの地名が中国語に改められて、解放路とか北京路になっている。
チベット人はインドの戦争に使われている。バングラデシュとの戦い。カシミールを守っているのは2万人のチベット人。
参加者からの質問「外国の支援を最初断って、その後受け入れたのは、何かを隠すためだったのですか」に対して、放射能が漏れたかどうか確認していたのかもしれないし、労働改造所=偽装農場からの脱走者が大量に出て、落下傘部隊を背後に降下させて、殲滅したのかもしれない、武器を奪われたら危険だから、と回答。
最近の情勢を見ていると、50年前の世界が戻ってきたように感じている。
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竹内氏の話の長年の現地取材に基づいた貴重な話をたっぷり聞かせていただいた。価値観を含む言葉をほとんど使わず、淡々と事実のみをお話になる。こいつがひどいことをしている、というような話はいっさいしない。そして竹内氏がサラッと話されたことが実際はものすごく重い話だったりする。
マスコミはつっこまないけれど、四川大地震の中国の被害の発表は、震源の東ばかりだったが、西はどうなっているのか気になっていた。竹内氏は、四川大地震での死者8万人の数倍の囚人があのあたりにいる、と話していたが、地震で死亡した囚人たちは死者にカウントされていないのだろう。3月のチベット蜂起でも、中国はチベット人の死者をカウントしていなかったので、チベット亡命政府の発表と大きく食い違っていた。
収容所が倒壊して囚人が脱走した場合、その人数は非常に多いことが予想され、中国当局は、地震直後に現地に派遣した部隊に、逮捕ではなく射殺を命じていたのではないか。
労働改造所が農場や工場となっているというお話、中国製品の価格競争力の秘密は、大量の“囚人”という名の奴隷を使っていたからだったのか。我々日本人が100円ショップ等でありがたがって買っている安い中国製品、何のことはない、安い分は、囚人たちの命で埋め合わせられていたのだ。
中国はチベットを侵略し、金目のものは収奪し、チベットの自然、資源、伝統文化は金儲けのためだけに利用してきた。そして、中国の人権蹂躙に反対する人を逮捕して、無報酬で労働させ、外貨を獲得してきた。これは現代の奴隷制度であり、中国では奴隷が経済に組み込まれていることになる。
だが、日本はそれに対して何の苦言も呈さない。それどころか、日本は、中国に力を与えて中国の犯罪に協力してきた。日本は軌道修正しなければならない。
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千葉県在住