[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/144/ のつづき
未婚の少女を強制連行
ウイグル人は貧乏で、特に農村区域が貧乏ですから、ウイグル人を助けます、という名目で、2005年の年末から、ウイグル人の未婚の少女だけを中国の本土に連れて行き、賃金が安くて中国人が働かない工場に連れて行って、働かせています。
ここで私たちは疑問をもちます。
なぜ未婚の少女だけなのか?
貧乏なウイグル人を助けるというのなら、男性でも女性でも、結婚しててもしていなくても、助けるはずでしょう?
誰でもいいじゃないですか。
でも、そうじゃないんです。未婚の少女だけでした。
これは同化、浄化政策のもう一環なんです。
80年代の後半から、中国は一人っ子政策を実行してきました。
それで中国人は男の子を欲しがります。一人っ子ですから。自分の家族の将来のためには男の子でなければならない、という考えが中国では強いです。
90年代、機械で胎児の性別が判別できるようになり、中国人は産婦人科の先生に大金を払って、胎児が男の子か女の子か調べさせるんです。
女の子だったらすぐ中絶するんです。
世界の人口を研究している人は、中国の男女のバランスが、ものすごく崩れているという話をしています。
そこで、未婚のウイグルの少女を、親から3000キロ以上離れた所に連れて行って仕事をさせるんです。みなさん、少女たちも人間なんです。1年か2年か3年か4年経って、時期がきたら結婚してしまう可能性が非常に高いのです。
中国の本土なんですから、結婚相手は中国人しかいません。
今までどれくらい少女を連れ出したかというと、3年間で50万人です。
この50万人の少女がふるさとから離れたということは、50万人の若い男性の結婚相手がいなくなった、ということです。
その50万人に結婚相手が見つからなかったら、他の相手(民族)と結婚してしまう可能性があります。それで、結婚した相手をウイグル人にするのか、自分が他の民族になってしまうのか、ということになります。
この問題を、私たちは世界にアピールして、宣伝して、反発してきました。
その結果、 2008年年末から、男性も仕事を紹介する、ということになり、連れ出すようになりました。
男性も連れ出すようになりましたが、数は非常に少ないです。
まだ中国本土に仕事に行っているのは、若い女の子が多いです。
そして、ふるさとから3000キロ離れた、生活習慣がまったく違うところに行って、一所懸命がんばっているウイグルの若者たちが、今年の6月26日、事件に巻き込まれました。
参考
欺計、圧力、脅迫:ウイグル人若年女性の東中国への移送
http://www.uyghurcongress.org/jp/news.asp?ItemID=1214990999
http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/146/ へつづく
我々日本人はウイグルや
チベットをもっと支援すべきだ
という方はクリックを↓↓↓
http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/143/ のつづき
言葉を奪われ、祖父母と孫の会話を父母が通訳
中国共産党を指導している者も人間ですから、必ず変わると私たちは信じて、神様にお願いして、我慢してきました。
しかし、何も変わりませんでした。
逆に、彼らが考えているのは、「この民族を完全に浄化、同化するためには、まず彼らの言葉を奪わなければならない」ということでした。
それで2000年から、ウイグル地域で、ウイグル語の教育が禁止されはじめました。
一番最初は大学から始まりました。
私が大学生の頃は、私たちはウイグル語で勉強して大学に行きました。
ウイグル語で勉強したからといって、社会で使われない人間ではありませんでした。
みんなウイグル語で勉強して大学を卒業して、社会に出て、優秀でした。
しかし中国は、ウイグルの言葉は現代に合わない、ウイグルの文字はコンピュータに合わない、と言います。
2005年までに、私たちのウイグル地域は、幼稚園まですべて中国語になってしまいました。
今、中学高校生で、自分の親とウイグル語で交流できない子供たちが、たくさん出てきています。
主に大きな都市でたくさん出ています。
そのおじいちゃん、おばあちゃんは、ウイグル語しか話せません。親が間に入って、子供と祖父母の会話を通訳しなければならない、という状況になっています。そうしないと、孫は祖父母と交流できません。
それでも私たちは何も言いませんでした。言うと刑務所に入れられるからです。
毎年、100万人以上、中国本土から中国人を連れてくるようになりました。
彼らはやってきたらすぐ仕事が見つかります。
しかし、私たちはいつまでも仕事が見つかりません。
大学を卒業したウイグル人の95%は、卒業=失業なんです。
今のウイグル地域では、どんな職場でも、ウイグル人に面と向かって、「ウイグル人はいらない」と言っています。
私たちはそれに反発できません。
反発したら相手に殴られます。
殴られても罪を負うのはウイグル人です。
とんでもない罪で刑務所に入れられるのです。
中国の警察はウイグル人を逮捕するとき、何の手続きも必要ありません。
好きなとき、家にきて連行できます。
「どうして私を連行するのか」と言ったら、すぐ殴られて、向こうで話す、と言われます。
http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/145/ へつづく
我々日本人はウイグルや
チベットをもっと支援すべきだ
という方はクリックを↓↓↓
http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/142/ のつづき
核実験で天然資源発見されるもウイグル人に職なく、中国人が大量入植
90年代に入り、先ほどお話しした旧ソ連のいろんな国、カザフスタン、タジキスタン、キルギスタンなどが独立しました。
こういう国々が独立したことは、ウイグル人に大きな希望を与えてきたんです。
自分の兄弟が独立したんですから、私たちも独立するんだ、と。
もちろん、彼らが独立した瞬間から、中国共産党政府も緊張しはじめたんです。
圧力も強くなってきました。
90年代から、その地域を完全に治めるために、たくさんの中国人移民がウイグル地域に入植してきました。90年代半ばから、ウイグル地域でたくさんの天然資源があることがわかってきました。
どうして突然そういうことが分かってきたかというと、まず技術の発展があったのは間違いないです。
大きかったのが核実験。地下核実験の地震波でどういう物質が地下にあるか、ということがわかるそうです。
それで、たくさんの場所で、石油、天然ガスがあることがわかってきました。
ウイグルの核実験は1964年10月、ちょうど東京五輪が行われている最中から始まりました。
その時期から70年代後半、80年代の初めまで、すべて、地表、空中で核実験を行っていました。
その後、80年代に入り、改革開放政策、外国から人々が自由に入ってくるようになった時期から、地下核実験に変わったんです。
64年から92年まで、彼らは46回核実験を行いましたが、一度も付近の住民に知らせて避難させたことはなかったんです。
私たちも核実験が行われていることは知っていましたが、それが人間にどのような影響を与えるのかということはまったく知りませんでした。
私でさえ、自分の近所に住んでいる奇形児が、核実験の影響だったということは、去年の年末、イギリスの4チャンネルというテレビ局の「死のシルクロード」という番組を見て初めて知ったんです。
なぜなら、あの番組に出ていた子供たちは、私の町の子供たちで、私も会っている子供たちだったんです。
でも、誰一人、あれが核実験の影響だということはわかっていませんでした。
政府はもちろん原因はわかっているんですが、政府はそういう子供たち、家族を救済することは一切行っていません。誰にも1元たりとも出していません。
いつも、その人々たちのせいになってしまいます。
それから、90年代半ばからたくさんの地下資源が見つかったので、労働力が必要になります。
たくさんの労働力がないと資源を開発できません。
それで、ウイグル人は喜びました。これからは仕事がみつかる、と。
でも、ウイグル人の考えは間違っていました。
そういう仕事現場には、すべて中国人が連れてこられました。
石油の採掘現場にいく機会があったら、見てみてください。
ウイグル人は誰一人いません。すべて中国人です。
砂漠の真ん中にいっても、すべて中国人です。
もちろん、中国の貧しい地域の人たちを連れてくるんです。
彼らは1年経って、金持ちになって、車にも乗れます。
でもウイグルの農民たちは、自分たちが昔から耕していた畑から石油が出ているのに、以前のとおり貧しいままです。
それでも、私たちは政府に対して、「どういうことなんだ」と言えません。
自分の考えを話すこと自体、反中国思想とされてしまうんです。
ですから、成文化されたルールではありませんが、ウイグル地域では、ウイグル人は、何か考えても、それは心の中にしまっておくこと、他の人に言わないこと。これがルールです。
言ってしまったら、分裂主義者、民族主義者、宗教過激派、こういうものにされてしまいます。
それでも、私たちはまだ我慢してきました。
http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/144/ へつづく
我々日本人はウイグルや
チベットをもっと支援すべきだ
という方はクリックを↓↓↓
http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/141/ のつづき
ウイグルの政治囚の死者250万人
それから私たちの地域で、教育させない政策が行われました。
農村で子供たちを教育したければ、遠いところに子供を行かせなければなりません。
遠いところに行ったら、学校の宿舎は只だけれども、食糧を持参しなければなりません。
そうなると子供は農業の手伝いはできません。そんなに大変だったら、自分の子供に教育を受けさせない、という形に自然になっちゃうんですね。
そういう知識がない人間が、昔も多いですが、その後もものすごく増えるようになりました。
その後、ウイグルの知識人たちを、いろんな理由で逮捕して、死ぬまで刑務所に入れる。あるいは思想的に問題があると重い罪をかぶせて、処刑してしまう。
殺されるだけならまだしも、家族がその後遺体を引き取りに行くと、銃弾2発使ったら、1発1元なので2元出せ、と言われ、2元払って遺体を持って帰るんです。
その後の文化大革命では、ウイグル地域の状況は中国と同じになりました。
ウイグルではウイグル人の罪が中国人より重くなったところがあります。
民族主義、汎トルコ主義などの罪で、たくさんの人を刑務所に入れて、できるだけこの民族を減らすために、中国共産党政府はがんばってきました。
ウイグル人もたくさんの子供を作ってがんばってきました。
それでも、刑務所で死亡した、あるいは刑務所から出て1カ月も経たないうちに死亡した、そういう人の数を計算すると、ウイグル地域では55年に新疆ウイグル自治区ができてから2000年までに、250万人の人々が死にました。
その中には、もちろん、突然行方不明になった人もいっぱいいるんです。
http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/143/ へ続く
我々日本人はウイグルや
チベットをもっと支援すべきだ
という方はクリックを↓↓↓
今指が腫れていて、全部入力するのにちょっと時間がかかりそうです。
イリハムさんの発言は、自然な日本語になるように少し手を加えています。
2009年9月6日 フォーラム色川 緊急特別講演会
「日本ウイグル協会会長が激白する!いまウイグルはどうなっているのか!
中国はウイグルで どんなことをしているのか!」
日時 2009年9月6日(日)午後1時半~4時35分
会場 中野サンプラザ 7F研修室10
講師 イリハム・マハムティ氏 (世界ウイグル会議日本全権代表・日本ウイグル協会会長)
主催 フォーラム色川
イリハム・マハムティ氏
みなさんこんにちは。
日本ウイグル協会のイリハムと申します。
ウイグルの、中国語でハミ、ウイグル語でコムルという町で生まれた者です。
私が生まれた町のメロンが中国でとっても有名で、旅行でも有名な所であります。
ハミメロン
まず、ウイグル人と日本人は、昔からの親戚関係がある、というところから始めたいと思います。
なぜなら私たちは、言語が非常に近い。
最近出版された「騎馬民族がもたらした日本のことば」という本があって、その中で、私たちのたくさんの言葉がまったく同じである、と。
私たちは、同じくウラルアルタイ言語系で、ウイグル人は日本語の単語だけを覚えれば、自分の文法で日本人と話せばだいたい通じます。
それから、日本に対して、ウイグル人もそうですし、中央アジアのトルコ系民族は、非常に親しい感じがするんです。
日本の方々がウイグルに旅行にくると、ウイグル人は中国人と間違います。でも、「私、日本人だよ」と言ったら、ウイグル人の態度は180度変わります。
中国人の旅行者の場合は、いろいろと大変なことが起こるからです。ですから、中国人の旅行者はあまり歓迎されません。
中国人の旅行者が行ったところは、かならずゴミでいっぱいになります。
みんな、それがちょっと嫌なんですね。
日本人の旅行者は、自分のゴミは捨てるところに捨てます。そういう小さい面でも、ウイグル人は日本人のことを好きになります。
ウイグルの歴史
ウイグル民族のことをまずみなさんにお話ししたいと思います。
ウイグルという言葉は、「団結」「連帯」という意味です。
ウイグルという集団は、一番最初はモンゴル高原で、ウイグル帝国を作ったんですね。国を作ったんです。遊牧民族としては、その時期あまり考えられないことなんですけれども、そういう時代がありました。
モンゴル高原で国をつくり、その後、いろんな戦争があり、敗れて、国も亡くなって、主な集団は、モンゴル高原から西へ西へと、今のウイグル地域に入りました。一部は、今の中国の甘粛省の黄河の西に東ウイグル帝国を作ったんです。こちらで一つ帝国をつくり、今のウイグル地域でももう一つ国をつくり、それが分裂したり、また一緒になったり、という時代がありました。
でも今のウイグル人は、モンゴル高原から来た人々が主体となっているのかというと、まだ謎なんです。
なぜなら、その集団がウイグル地域に入ってくる前に、すでに農業をしていた集団がいたんですね。
この二つの集団が、その後混合した可能性が非常に高いです。
まだそこまで証明されていませんが、研究されているところです。
1917年にソ連ができたとき、民族を区別するために各集団に名前を付けた、というのはあまり信じられない話です。何百年も前からウイグルという国、王国があったのですから。
この地域、初めて清の勢力に入ったのは1700年頃です。でも一時的に治めましたが、すぐにウイグルの軍隊が清の軍隊を追い出したんですね。追い出した後、一部の地域が清と朝貢関係にありました。
1850~60年代になって、ウイグルのある人物(ウズベク人という説もあります)が、新しい国を作りました。長続きしませんでしたが、ウイグル地域全体を完全に支配し、一部の朝貢関係もなくなりました。
このことを受けて、清の一部の人々が、あの地域は遠いからもういい、と言ったが、それを反対した中国人がその土地を取り戻さなければならない、と1870年代後半、再び軍によりその地域を治めて、1884年に初めてその地域に新疆という名前をつけました。
新しい領域という名前で、この地域を治めたんです。
その後も、清が直接支配したかというと、直接支配していません。
ウイグルでは、ほとんどのオアシスに一人の王がいました。その王たちに毎年あるいは3年に1回、朝貢する義務をつくっただけなんです。
清が滅んで、中華民国となり、中華民国の軍隊が少しだけ駐屯していました。
国民党政府が支配する軍隊がいましたが、1933年11月12日、カシュガルで初めて近代国家として東トルキスタンイスラム共和国を立ち上げたんです。
今日も何人かの方が、我々の旗のTシャツを着ていますが、その旗はそのとき初めて国の象徴として使われました。
この国は4,5カ月しかもちませんでした。
その理由は、旧ソ連と話を付けていなかった、ソ連の承認をもらっていなかったというのが、大きな理由になってしまったんです。
なぜなら、ソ連は、ウイグルのとなりのすべてのトルコ系民族の国を治めているので、彼らの目の前で、一つのトルコ系の独立した国が出るということは、この周辺の国々にも影響を与えて、再び独立運動が始まる可能性が非常に高くなる、という理由が大きいと私は思っております。
その後、ウイグル人はもう一度、世界に独立を宣言するためにがんばってきました。
ふたたび、ウイグルのイリ(カザフスタンと国境を接し、遊牧民が多い)というところで、ウイグル人、ウズベク人、カザフ人、こういう人々が連携して、東トルキスタン共和国を、1944年、同じく11月12日につくりました。
ここで注意すべきことは、「イスラム」という言葉を捨てたことです。
一つは現代的な考え方、一つはこの国をつくるときのリーダーたちは、ほとんど旧ソ連のモスクワに留学した者が多かったんです。共産主義思想の教育を受けた人が少なくないと思われます。
それでこの国は1949年までありましたが、残念ながら、旧ソ連と中国が、モンゴル共和国と東トルキスタンを取引して、モンゴルを独立させ、ソ連圏に組み込み、東トルキスタンを中国に譲る、ということで、二つの大きな勢力の取引の中で、私たちは中国の版図の中に入ってしまいました。
ソ連、中国、東トルキスタンの3カ国は、条約を作ったのですね。その内容はまだはっきりしていないけれども、それは三カ国が一緒に発表すると約束したそうです。
ですからウイグルのリーダーたちは、ウイグル人たちにそれを伝えなかったんです。
この条約ができた翌日、ウイグルのリーダーたちが北京に飛行機で向かいました。
二日後、飛行機が墜落したという連絡があり、我々の国の6人の指導者たちが、死んでしまいました。
そのとき、事故で死んだという話でしたが、遺体を誰にも見せずに埋葬されました。
これが一つの謎で、最近になって、ロシアの秘密監獄で刑務官だった人が、回顧録を書き、ウイグルの指導者たちがその秘密の監獄で亡くなったことを書いてあります。
その条約は、今まで世界に文書が公開されていません。
たぶん、それが公開されたら、中国共産党はそこを支配する正統性がその瞬間になくなると思います。
もちろんロシアと中国の政権がつながっていれば、この文書をなかなか公表しないと思います。
その時期から私たち、中華人民共和国の国民になってしまいました。
http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/142/ へ続く
我々日本人はウイグルや
チベットをもっと支援すべきだ
という方はクリックを↓↓↓
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
千葉県在住