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http://tibet.blog.shinobi.jp/Entry/34/ の続き
代表幹事ペマ・ギャルポ氏の閉会の挨拶
どうもみなさんありがとうございました。
今日はまだ会場に本来であれば壇上でお話をいただきたい方がたくさんいらっしゃいます。しかし時間の関係でそういう先生方を十分にご紹介もできないことをお許しいただきたいと思います。
会場の都合でどうしても8時半までに終了して9時には会場を返さなければならないもので。
ただ、きょうこの歴史的な会に来てくださったことは決して忘れませんし、またそういう先生方に発言していただく機会も、これから多くできると思います。
内々の人にお礼を言ってはいけないんですが、私にとっては特に発足会の記念講演にギャロ・トゥンドゥプ殿下が来てくださったことをとても嬉しく思っています。
ギャロ・トゥンドゥプ殿下は鄧小平との対話以後の話しか伝えませんでしたが、チベット人だったら誰でも知っていますが、ダライ・ラマ法王がチベットから脱出できたのも、チベットの人たちが、勝ちはしなかったけれども負けてもいない、20年間のゲリラ活動をやって中国に抵抗したのも、すべてギャロ・トゥンドゥプ殿下の働きがあったということを、私は誇りに思っております。
殿下は、「ペマは嘘つきだ、戦ったのはチベット人民だ」とよくおっしゃるんです。それと同時に私を日本に派遣したのも、ギャロ・トゥンドゥプ殿下であります。
まだ13才のときに、「おまえ、日本に行け」ということで日本に来ることになったわけです。私も殿下の命令に従って、日本に来て、こういう会をできるのも、本当に殿下の先見性、そして日本の皆様のおかげだと思って、心から感謝しております。本当にありがとうございます。
今や日本において、かつ世界各国同様にたくさんのチベット支援の会ができました。もちろんそれぞれの会に素晴らしい役割があります。この会がなぜ、たくさん会があるにもかかわらず、作らなければならなかったのか。世界各国の議会においてチベット問題に対する決議がたくさん採択されました。しかし日本は先進8カ国の一員であり、アジアのリーダーを自称しているにもかかわらず、まだそのような決議が採択されておりません。
ですからこの会の当分の間の目的の一つは、まず地方議会からでもいいですので、チベット問題に関する決議が採択されるように努力していきたい、これが今後の第1の役割として、目的としていきたいと思っております。
そして第2に、現在、ダライラマ法王と北京政府の話し合いで、どうやら北京政府はただ時間稼ぎのため、そして世論操作のための話しかしていないので、この日本からもいろんな段階において政府にも働きかけて、ダライラマ法王と北京政府の対話を意味のある対話にするように、あらゆる意味での圧力をかけていくための活動をしたい、ということを第2の目的にしたいと思っております。
そして第3の目的は、今日皆さんに資料として配付していますが、できれば皆さん一人一人が、チベットについての講師となり、チベットについて話せるようになるために、この会ができるだけ信用度の高い、そしてできるだけ早く、皆様にチベットで何が起きているか、そしてチベットの方が多少知られていますけれど、同じような運命にあるウイグルやモンゴルで何が起きているか、という情報をできるだけみなさんに順次伝えられるようにしたい、と思っております。
ただそのためには、人材と多少の財力も必要ですので、いろいろな方にご迷惑をかけるかもしれませんが、これを当分の目的にしたいと思っています。
そして今回先生方に、このような会を作りたいということを申し上げましたところ、本当に、櫻井先生をはじめ、今日来てくださった先生方、メッセージを送ってくださった安倍先生、それから会場に今まで残ってくださった衛藤先生をはじめ、そして私が子供のときからお世話になっている加瀬先生、今日は風邪をめされてこれなかったんですけれども、この会の代表顧問になってくださった、小田村四郎先生にも感謝したいと思います。
同時に先生方に対して、この2年間ぐらいは私が責任をもって事務局をやります、と、2年間は私が事務局を担当して、代表幹事としてやることになりました。しかしそれまでにチベット問題を解決できれば、あるいはそれまでに、先ほどどなたかおっしゃったように、ロシアで起きたように、中国も同じような運命になったら、もちろんこの会が必要なくなってくるわけですが、もし2年でそういうことにならなかったら、どなたかにバトンタッチしてやるか、継続するかですけれども、とりあえず2年間、私ががんばって事務局をやり、そして小林先生に補佐していただき、広報などについては西村さんもご協力してくださります。
それから何よりも今日会場で受付をやっている人や皆さんのお世話をしているのが、私の塾生、私の大学院生、そしてチベットの留学生であります。
特に塾生に関しては、今日お花を戴きました室舘(勲)さん、この人もなかなかの志士でありまして、毎年2、300名の若者を連れて靖国参拝をしている青年で、そういう人たちに今回手伝ってもらいました。
このような会の裏方の方々にも心から感謝申し上げます。
そして正直言って、この会場に入るまで、今日何名来てくださるかということが一番心配だったのであります。ですので、この会場にみなさんにきていらして、やっとせっかく来ていただいた殿下に、私も自信をもって「殿下!これが日本です」と言えました。まあ私は2年前から日本国籍になりましたので、やっぱり日本人としての多少の面子もありましたので、皆さんがそれを裏切らなかったということに対しても感謝したいと思います。
今日皆さんに資料として配布できなかったのですが、ダライラマ法王が福田首相宛に出した手紙のコピーが今日、代表部がこれに間に合うように一生懸命翻訳をして、先ほど事務局の方から、ダライラマ法王代表部の方から持ってきましたので、よろしければ帰りにもっていっていただきたいと思います。
チベット亡命政府議会から
福田康夫日本国内閣総理大臣へのアピールレター
http://www.tibethouse.jp/news_release/2008/080728_release.html
今年の10月ぐらいにアメリカのチベット100人委員会の代表を呼んで、できれば1回懇親会をやりたいと思っておりますので、またご案内したいと思います。この100人委員会に対して不安だったものですから、加瀬先生はじめ、いろんな先生からご推薦いただいて、700名くらいにご案内を送りました。そして、今日12時の段階で243名の方々から、顧問兼委員、幹事兼委員の許諾書をいただきました。ですからすでに100人委員会は200人委員会を超えました。ですから、いずれはこれが千人委員会、万人委員会になるかもしれません。
きょうここに来てくださった方々、そして今までに名前をくださった方々が、あくまでもコアになって、この目的を達成するまでがんばっていきたいと思いますので、今後ともご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします。
今日は本当にありがとうございました!
それから、今日、王さんは彼としての精一杯の言葉の表現をしたと思います。私はこの20年間、何名かの中国の人たちが、大きな場所で、自分たちがチベット人に対してやってきたことに謝罪をしてくださり、彼も大勢の前で謝罪をしてくださりました。そして私は敵を味方にするだけの、こちらが正義と正統性をもっており、敵一人一人、説得していくことが、私たちの勝利への道だと思っております。そういう意味で、彼が今こうやって私たちと一緒に勇気を持って出ていることに対して、みなさん、もう一回拍手をお願いいたします。
そして近々みなさんに対して??という情報?を??ので、できるだけ多くの人たちに、みなさん一人一人が、正義のための戦士として、武士として、お伝えをお願いしたいと思います。
どうもありがとうございました。
20時42分終了
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ブログ管理人の感想
今回、一番重要な発言者であるギャロ・トゥンドゥプ氏(会場横断幕や印刷物の表記ではドゥンドゥプ。トンドゥプと表記した書籍もある)は、チベットの現代史において重要な働きをされてきた歴史の生き証人である。今回のご発言でも、鄧小平や胡錦涛と直接対話された話が出てくる。ギャロ・トゥンドゥプ氏は義勇軍の指導的立場にあり、CIAとのパイプ役を務め、ゲリラとしての訓練を受けるチベット人の若者たちを米国に送り込んでいる。そのあたりについては、「中国はいかにチベットを侵略したか」に詳しい。
ペマ・ギャルポ氏は日本語が日本人以上に達者で通訳が適切で、しかもギャロ氏が非常に頭の回転が速い方なので、会場の方の質問とギャロ氏の回答がうまくかみ合って、非常に重要なことをおっしゃっていたことも、印象深かった。
ギャロ氏の発言で非常に興味深かったのは、胡錦涛の評価が巷で言われているのと大きくことなることだ。1989年のチベット蜂起のとき、大弾圧を行い、8万人以上のチベット人の殺害を指揮したと言われている胡錦涛であるが、ギャロ氏は、それは上からの命令によるものであり、彼の意志で行ったのではない、と言う。そして、彼と直接対話して、中国の困難な問題を解決する能力を有する有能な人間であると感じたという。
中国を追い詰めるために、中国の指導者がどんなにひどい存在なのかを力説するのではなく、実感した通りのことを証言されているので、ギャロ氏の主張が真実に近いのではないかと思う。また、彼が大変に器の大きな人物であることも実感した。
イリハム・マハムティ氏のご発言は何度も聞いてきたが、毎回異なる話をされており、いつも話が新鮮である。「どうして日本はここまできて、植民地にしてくれなかったのか」というウイグル人の叫び。中国に統治されるよりはいくらかマシ、というのではなく、日本に統治されれば、「自由で民主的な生活ができたかもしれない」と、日本の統治をかなり肯定的に評価している。韓国人による評価とは180度異なっているが、実際はどうなのか。
満州人や南モンゴルの人たちは日本の統治をどのように評価しているのだろうか。バイアスのかかっていない、生の声を聞いてみたい。
王氏が話していた「外務省が日本在住の中国人の民主活動家のリストを中国共産党に渡している」、これが本当だったら大変な騒ぎになるはずだが、実際のところどうなのだろうか。
出席した議員は、自民党、民主党、国民新党の所属だった。公明党、共産党、社民党の議員は一人も参加していなかった。公明党は親玉が中国と蜜月関係にあり、共産党も中国と非常に親しい。社民党も北朝鮮や中国の独裁政権下における人権弾圧に声をあげたことなど聞いたことがない。これらの3政党は人権蹂躙に対して無関心なのか。
チベット問題は、議員に対する踏み絵としても機能すると思う。
それから、ペマギャルポ氏の教え子たちが、会場の受付などを行っていたが、彼らを見ていると、ペマギャルポ氏は教育者として非常に有能だという印象を受けた。
最後に、チベット自由人権日本100人委員会に参画希望の方は下記ページをご覧下さい。
ご参画のお願い
http://pemagyal.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_f46b.html
会員申込書
http://pemagyal.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_3dd7.html
関連ページ
7・19フリーチベットin名古屋
http://hirihoukenten.iza.ne.jp/blog/entry/655858/
チベット問題は日本の問題でもあると思う方
中国に隷属しようとする政治家を落選させたい方
はクリックを↓↓↓
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安倍晋三前総理からのメッセージ
チベット人権自由100人委員会の設立、ならびに本日発足記念シンポジウムを開催されることを心よりお喜び申し上げます。
この100人委員会を結成したいという構想を、ペマ・ギャルポ氏から伺い、その趣旨に大いに共感し、賛同のご返事をいたしました。
米国にはすでに100人委員会や、Inernational campaign for Tibetのような国際組織が存在しており、議会での活動も活発です。また昨年、ダライ・ラマ法王が米議会において、議会名誉黄金勲章を授与されたことも記憶に新しいと思います。
それにくらべて、日本でのチベット問題に対する意識があまりにも低いのは残念である、と常々考えておりました。それは我々政治家の責任でもあると思います。
3月10日にチベットのラサで行われた僧侶らによる平和的なデモ、これに対する中国政府の対応を契機に、日本でも大きな問題として取り上げられるようになりました。
この100人委員会が長期的、継続的な活動を展開し、日本における民族問題をリードし、日本のみならず世界に向け強く発信していくことを期待しています。
平成20年7月30日
衆議院議員 安倍晋三
司会の副代表幹事・小林秀英氏(チベット問題を考える会 代表) |
パネルディスカッション 参加者
ジャーナリスト 櫻井よしこ氏
元東大教授 酒井信彦氏
ジャーナリスト 西村幸祐氏
石平氏欠席のため、ラジオFREE ASIAのジャーナリスト王進忠氏が代理出席
櫻井よしこ氏
ダライラマ法王様のお兄様からいろいろとお話を伺い、これまでにもチベット、ウイグル、モンゴルの方々とお会いして、体験談を聞いてきた。結論として感じるのは、中国共産党の手法というのは、どの民族に対しても非常に似ている、一定のパターンがある。チベット、ダライラマ法王様と毛沢東の交渉の歴史、チベットと中華人民共和国の交渉の歴史を辿ってみても、最初は甘い言葉で17箇条の協定などに署名をさせていく。その中で、先ほどのお話にあったが、軍隊と外交は中国に任せなさい、しかしチベットの仏教、文化、文明、法王様の地位もみんな現状の通り、守ります、と言っておきながら、それに署名させたとたんに、そしてまた、毛沢東とダライラマ法王の写真を世界中に配信して、世界各国に、あ、チベットは自らの意志で中国とこのような協定を結んだんだ、という印象を広めたとたんに、内容を変えていく。
チベット側が中国を信じて、その協定に署名をしたとたんに、国際社会に対する言い訳ができてしまって、その後は、寺院を焼いたり、破壊したり、チベットの多くの人を拷問したり、殺したり、そして、弾圧をして、チベット語を語るのを許さない、宗教を許さずに、毛沢東主義を教えるなどという蛮行を重ねてきた。
これはウイグル人に対しても同じパターンで弾圧をしている。モンゴル人に対しても、同じ形で弾圧をしている。
その中国が今、世界の大国となって、まもなく北京五輪を主催する。
我々は、中華人民共和国のやり方はおかしいのではないか、という声をあげなけばならない。
にもかかわらず、北京五輪が近づくと、五輪のことしか報道されない、そのことしか政治家も考えない、何かもっともっと大事なことを忘れているわけで、その大事なことというのは、私たちの国日本が信じる民主主義であり、人間の自由であり、思想信条宗教の自由であり、民族自決の原則であると思う。
日本はこれからも、アジアのみならず、21世紀の国際社会に自分なりの存在感を示して、国際社会に貢献することが求められているが、日本が貢献する立場というのは、まず民主主義を守りましょう、人権を守りましょう、民族自決の原則をきちっと守っていきましょう、ということにほかならない。それをこのチベットの問題で語るならば、まさにチベットの人たちの意志を尊重し、ウイグルの人たちの意志を尊重し、モンゴルの人たちの立場をきちんと尊重して、連携していくことだろう、とお話を伺って、実感した。
パネリスト参加者 櫻井よしこ氏と酒井信彦氏 |
酒井信彦氏
私は司会の小林先生と一緒に、今から20年以上前になるが、1987年秋にチベット問題を考える会を作って、それからずっと活動を続けてきている。しかしなかなか日本の中では、チベット問題は浸透していかなかった。
今回チベット問題が話題になっているが、前に比べるとかなり論じられて、いろんな人が関心をもたれるようになってきたが、その中で、割と触れられていないことがある。そのことを今回のシンポジウムでいくつかお話ししたい。
私は、日本史の歴史学者なので、チベット問題の歴史的背景ということに非常に関心をもつ。チベット問題は人権侵害問題だと捉えられているが、私は、人権侵害の側面はもちろんあるが、基本的には民族独立問題であり、反対から言えば、いわゆる中国人の侵略問題であると思う。
中国人支那人が侵略を正当化するイデオロギーがある。日本人はそれにほとんど関心をもっていない。この侵略のイデオロギーというのは、普通言われるように共産主義ではない。共産主義よりずっと前に、支那人は侵略を正当化するイデオロギー、論理、哲学といったものをつくっていった。端的に言うと、それをまとめ上げたのは孫文である。孫文は1911年の辛亥革命で中華民国を作ったということで日本の歴史の教科書の中でも、必ず出てくる、日本では最も高名な中国人の一人である。
その人の三民主義という本があり、その中に民族主義というのがある。いくらでも翻訳が出ている本なので、手軽に読めるが、その中に侵略を正当化する哲学をまとめあげている。
簡単に言うと、中華、その当時は中華民国、にはいろんな民族がいるが、それはすべて中華民族なんだ、漢族もその一つだ、チベット人、モンゴル人も中華民族なんだ、と。中華民族という大きな網をかけて、したがって、チベット人の土地もモンゴル人の土地も、中華の土地、中国の一部なんだ、という、それが侵略を正当化するイデオロギー。
それはすでに中華民国の段階で完成されていた。ただし中華民国は侵略を実行するだけの軍事力がなかった。中華民国のときも東チベットに侵略をしかけているが、それは成功しなかった。そういった基本的なものの考え方があって、それに基づいて中華人民共和国が成立した段階で、チベット、南モンゴル、東トルキスタンを侵略、併合して、中華人民共和国ができた。この中華民族主義、私は支那侵略主義と言っているが、侵略を正当化するイデオロギーであるが、ただしそれだけではなくて、一番重要なことは、すべての中華民族は、漢民族に同化すべきだという考え方が根本にある。
少数民族の人たちの存在価値は認められていない。したがって、人口侵略をして、漢民族に同化吸収してもかまわない。チベット人ウイグル人は消滅してもかまわない、というのが基本的な考え方。
これが一番恐ろしいことであって、それに基づいて民族浄化政策が行われている。
この考え方は、さらに拡大して、日本にも及ぶ可能性が高い。
支那人が日本を侵略する場合には、中華民族の概念を適用して、日本民族も中華民族の一つなんだ、と。大和族という言葉が作られたこともある。
だから、チベット、東トルキスタンに対する侵略というのは、単なる共産主義のイデオロギーではないのであって、中華民族主義、支那侵略主義を、支那人に根本的に改めさせることが必要がある、と私は考えている。
西村幸祐氏
今日の記念すべき100人委員会に多くの方がつめかけていただいて、本当に感謝しております。
さきほど、ダライラマのお兄様からお話をいただいたが、実はこのシンポジウムが開催されるちょっと前にお話をした。そのときにも、私は閣下から「日本こそ、チベットの問題を解決するために、アジアをもっともっとリードしてほしい」と言われた。それを聞いたときに、忸怩たる思い、恥ずかしい思いをした。
そのとき「日本は戦争に負け、非常に弱い国になってしまい、とてもアジアをリードしていくような状態ではありません」と正直に申し上げた。すると閣下は「それはわかっています」とおっしゃった。
しかし、そういう去勢された日本になっていながら、それでもまだ日本にそういう思いをかけてくださっている。
私たちが日本の歴史を知ることによってチベットの歴史を知ることもできるし、またチベットの方々がチベットの歴史を知ることによって、日本の歴史にも関心をもっていただくことができる。日本とチベットが、今酒井先生がおっしゃったような中華帝国を中心とした東の端に日本列島があって、西の端にチベットがある。東と西に位置している日本とチベットは、中華帝国を介在して、非常にパラレルな関係になっているということが歴史的にも実は証明できるのではないかと思っている。
かつてチベットは、吐蕃王国として8世紀に中央アジアまで支配していた非常に強い国だった。そのときに今のチベット仏教の原型ができあがっていったわけだが、そのとき日本でも奇しくも大化の改新が行われ、支那大陸でなくなりつつある仏教は、東の端の日本で、国教と定められ、仏教文化が花開いた。時を同じくして、吐蕃という国も仏教を花開かせていた、という歴史的なことにも思いを馳せたいと思う。
最後に私がチベットの問題で非常に感じていることがある。それは胡錦涛主席が来日した5月6日に向けて、日本の中で3月から5月にかけて、非常に若い人たちの間でチベットへの支持が高まって、しかもマスメディアが報じないところをぬって、どんどん自分たちで情報を集めて、チベット支援の輪が広がって、胡錦涛来日の日にはなんと東京で数千人規模のデモ行進が行われた。
それは今までのマスメディアとは違ったものを求める、違った海外からの情報をもてる方たちが、いよいよ立ち上がってきた感じがする。
フリーチベットという言葉は実は、フリージャパン、フリー日本なんだということに、日本も本当に独立しないと困る。そういうことを考えながらチベット支援を考えていきたい。
ジャーナリスト西村幸祐氏(右)と欠席された石平氏の代理として急遽参加されたラジオFREE ASIAのジャーナリスト王進忠氏 |
王進忠氏
1987年日本にきて、89年天安門事件があった。民主中国??という組織を作った。当時からペマ先生と20年間のつき合いです。ダライラマ法王は15回来日したが、私は7回お会いした。去年11月日本にきたとき、一緒に台湾に行きました。そのとき法王から、チベットの問題、中国の問題。二つの問題。一つは宗教の自由の問題、もう一つは中国の民主化の問題。この二つの問題を一緒にやりましょうと法王様から確認できました。
私個人の考え、中国はこの60年間で一番の問題が中国共産党の問題、共産主義が中国に入ったときおかしくなって、先ほどのお話にあったが、鄧小平も刑務所に行った。共産党員も殺した。今、台湾問題、台湾のことウイグルのことモンゴルのこと、民族すべては中国共産党の政策。私の考えは、中国が民主化しないと何にもいけない。民主化のためには共産党を倒さないと何にもならない。
そういう考えで私も100人委員会に入りました。ペマ先生、ウイグル、モンゴル、日本人もアジアのため、日本はアジアの責任をもたないといけない。日本はアジアの中で一番民主の国、今北朝鮮の問題、拉致の問題がある。本当は中国共産党を倒さないと、日本の目の前の問題がたくさんでてくる。今拉致の問題は解決できない。私はジャーナリストとして、拉致の問題を書いているが、中国人で書いているのは私だけ。もともと拉致の問題に日本人、アメリカがテロの国から北朝鮮を外す、日本人は、中国にもっともっと民主化ならないといけない。
今チベットの問題も、我々の情報でいま10万人刑務所に入れている。大変な時代で、先ほど質問した人は、チベットの情報がない、私はもっともっと勉強しないといけない、日本人としてここで質問するのはおかしい、もっともっと日本人は自分のため、勉強しなさい。チベット人はどのくらい苦労しているか。
先ほどの質問者2が立ち上がる
「それは知ってますよ…」
質問者2 演壇に近づいてマイクを取る
私はね、チベットのことを悪く言っているんじゃなくて、チベットの人民と日本人がもっと…
会場から罵声
「引っ込め!」
「やめろ!」
「出てけ、このやろう!」
司会者
ディスカッションの最中ですので、私的な発言はお控え下さい。
司会者、櫻井氏に王氏の発言についての意見を求める。
櫻井
中国の周辺の国々の歴史を、王先生のおっしゃるように、もっともっと勉強しなければならないと思う。
中国がいったい何を目指しているのか。清朝の頃の領土領海版図をもう一度回復するのを目指している、清朝の時代に直接の支配でなくても、何らかの関係があって、朝貢したり、そうした国々を自分たちの領土だと考えているのではないかと思う。
中国外務省が、北朝鮮はかつて中国の一地方政府だったという論文をホームページに載せて、北朝鮮だけでなく、韓国の人たちの反発も招いた。でもその立場は未だに中国政府はとっている。中国の人たちと話すと、沖縄も中国のものだと言う。今みなさんお笑いになったが、本気なんです。沖縄は清朝に朝貢し、薩摩藩に支配され、二つの国に支配されていた時期がある。だから中国の領土だというのが中国の方々の本音だと思う。朝鮮半島も沖縄も中国の領土。そしてベトナムも周辺の国々はみんな中国の一部になるべきだという考えで、どこまで突っ走るのか、ということが時々わからなくなる。
この辺、王先生、教えていただけますか?
王
私、勉強不足なんで答えるのは難しい。
一つ、先生にお願いがあります。胡錦涛と福田総理は会談で、日中人権対話をやると。今月の16日17日に北京で人権対話をやったんですよ。中身は何も公表されていない。前はペマ先生と??委員会で外務省の人が、チベットの人権の話をしまして、一つは、チベットで何があったのか、真実はね、もう一つはダライラマ法王と対話しなさい、という日本政府の立場。そういう結果。
でも先週人権対話、中国政府は、日本政府に、日本にいる法輪功の名簿をください、と。そういう要求が出た。??ニュースになった。??日中人権対話をやった。日本の外務次官、自民党の国会議員、??先生、外務次官??日中人権対話全部調べた。記録は何なのか。全部日本政府は、外務省、民主化支援のリスト、支援グループのリスト、全部中国に渡した。毎日新聞は小さく報じた。
だから今の時期、オリンピックの前、日本人としてチベット問題に対して、外務省がそういうことをやっているのはいいのか、ということなんですよ。
酒井
私はちょっと質問というより、これからあとどれくらい時間があるかわかりませんので、言いたいことを言っておきたい。
私は日本史学者だが、歴史には進歩の方向、発展の方向というものがある。それは近代史でいえば民族自決、民族独立の原則。これは第一次大戦のあとのベルサイユ講和会議のときに、アメリカのウイルソン大統領の14箇条の中の一つだが、それに基づいて、第一次大戦後にヨーロッパで8つの国が一挙に独立した。バルト三国、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビアというような国が独立した。ただしそのとき、その民族自決、民族独立の原則はヨーロッパに適用されたけれど、アジアには適用されなかった。
朝鮮半島で三一独立運動があった。これが1919年ベルサイユ講和会議のその年の3月1日に朝鮮であって、北京で五四運動があった。これも反日運動。なぜそういうことが起こったかというと(民族自決の原則が適用されたから。)、ヨーロッパに適用されている原則がアジアに適用されない、これは大変な不公平。差別です。ところが、現在それとまったく同じ差別が起こっているということにほとんどの人が気がつかない。
これは加瀬先生が先ほど少し触れられましたが、1990年代初めにソ連が解体し、東ヨーロッパではユーゴスラビアが解体し、チェコとスロバキアは分裂する、それから多くの国が民主化した。それこそが歴史の進歩の方向。ところが、ヨーロッパで起こったことがアジアで起こらなかった。中華人民共和国は解体しないし、ほとんどの共産主義国家は民主化しない。ただし一つ例外があってモンゴルが民主化した。これはソ連の影響下にあった国だったわけで、ソ連が解体したために民主化した。
アジアの中でも中央アジアのソ連圏の中にあった5つの国が独立できた。これはトルコ系のイスラム教徒の国。ところが中華人民共和国は解体しないし、中華人民共和国自身が民主化しない。北朝鮮、ベトナムも共産主義のまま。
ヨーロッパではルーマニアのチャウセスク政権が崩壊したが、北朝鮮では金政権がそのまま居座っている。これは明らかに、第一次世界大戦の後に起きた矛盾とまったく同じこと。だから今度はアジアは、特に東アジアが民主化して、民族独立ができなければいけない。
アジアが差別されている。もっとはっきり言うと馬鹿にされている。世界の中で。
その中で、日本はアジアの先進国だとか言っている。だが、その矛盾に充ち満ちた、先ほどのトゥンドゥプ閣下の言葉で言えば、「正義」、正義が東アジアの中で踏みにじられたまま。正義が踏みにじられているんだから、私は今は暗黒の世界だと思う。
暗黒の世界だということを今の人たちは、ほとんど気がついてないけれども、客観的にいうと暗黒の世界。
この暗黒の世界は、必ず正さなければならない、正義を実現しなければならない。
私が言いたいことはそういうことなんです。
具体的にどういうことかというと、私は中国人、支那人たちに本当のことを教える運動をみなさんやっていただきたい。もちろん、政治家、報道機関、学者、中国に行っている日本のインテリの人たちにやってもらわなければいけないことだが、みなさんにもできる。日本にたくさん中国人支那人が来ている。そういう人たちが正しい歴史認識をもっているかというと必ずしも持っていない。そういう人たちに本当のことを教えてあげてください。
最近「靖国」というドキュメンタリー映画を作った在日中国人の李纓という監督が、朝日新聞の広告の中でどんなことを言っているか。相手が困るようなこと、相手の弱点をお互いに言い合う、本音で語り合う、それこそが本当の友好だ、と言っているわけだから、中国人支那人に侵略をやめなさい、今また間違ったことをやっている侵略をやめなさい、と言ってあげることこそが、本当の友好なんです。
相手の誤りを正す、それをみなさんやっていただきたい。我々は自分たちの歴史を必ずしも美化する必要はない。私は日本の歴史を客観的に反省している。日本の朝鮮支配というようなことをいいことだと思っていない。でも朝鮮で日本がやったことが悪いことだとすれば、それと同じこと、それと比べてもっと大虐殺とかをやっているのは中国の人たちで、現にやっているわけだから。それを正さなければ、日本の左翼とか、朝日新聞、岩波書店、個人的に言えば、大江健三郎さんとか加藤周一さんとかいますが、そういう人たちは実は自分たちの歴史を客観的に反省していない。本当に反省していたら、現在支那人がやっている侵略、無惨な侵略をやめろ、と言わなければならないはずだ。
みなさん、中国人と面と向かって論争することを好まない人がいると思う。日本人は心が優しいですから。しかし口げんかをするより仕方がない。始めから分かってくれないわけだから。論争してください。それでもまだ遠慮するかもしれない。
そういう人たちには毛沢東の言葉を進呈したい。
毛沢東は何と言っているか。
「ケンカをしなければ、仲良くなれない」
司会者
王先生は共産主義が諸悪の根源だとおっしゃる。酒井先生はそれ以前に、中華民族主義があって、そこに大きな誤りがあるんじゃないか、と指摘されているが、それについては、王先生はどう思われますか?
王
すごく難しい。孫文の時代、反乱?の風があふれている。話するの長くなるから、言葉の問題もあるし。中国が一番おかしくなったのは共産主義ですよ。共産主義が来ているのは日本からですよね。1916年?。今の中国共産党は??。
中国は今北朝鮮みたいですよね。一番大変な時代は日本の田中総理が中国に行ってODA、いろいろ援助した。
天安門事件のときは、世界中の国は経済制裁。
でも日本の総理が行って助かった。
中国の発展は日本のODAのおかげ。
今チベットの問題ももっと、なぜ外務省が途中でやらなくなったか。
日本は責任をもたないといけない。
西村
酒井先生がベルサイユ条約のお話をされたが、考えてみれば、翌年国際連盟が発足することになっていて、日本は常任理事国になった。まさにそのときは日本はアジアをリードする国だった。そのとき日本は人種差別撤廃条約を盛り込もうとしたら、アメリカのウィルソン大統領とオーストラリア政府が反対して、日本の提案した人種差別撤廃条約が国際連盟の条約に盛り込まれることはなかった。
その時点で、アジアというものは、白人たちにどう見られていたか、ということを証明している。
そういったことが、先ほど酒井先生がおっしゃったことにもつながってくると思う。
そういった二重の構造になっていると思う。
それからさっき王さんがおっしゃったことにびっくりした。
外務省が日本在住の中国人の民主活動家のリストを中国共産党に渡している、それは本当ですか?
王
????? 毎日新聞に載った。
西村
ちょっと驚いた。おかえしします。
櫻井
私は酒井先生のお話に感銘を感じながらも言いたいんですけれども、それでも日本はアジアのやはりリーダーでなければならないと思う。
アジアの国々をまわると、本当は中国は怖い、本当は中国があまり好きではない。もっと日本にがんばってほしい、という声は、どの国に行っても聞かれる。
どの国でも政府の中枢にいる人たちもそういうことをおっしゃる。
やはり日本はアジアのために尽くす、アジアにもっと人権尊重、民主主義、法の支配、人間の自由というものを担保するような、価値観を根付かせることに対して責任をもたなければならないと思う。
でもなかなか日本自身がそうしたことを発言できない。
阿部総理のときに、価値観外交ということが盛んに言われた。
でも今は、そんなことも消え失せている。
私は日本が価値観外交を言い続けること、それに向かって邁進することがとても大事だと思う。
歴史を振り返ると、日本の歴史を美化するつもりはないが、本当はすばらしいことをたくさんやってきている。我々がやってきたことは、21世紀の国際社会の一つのモデルとなりうるような価値観。貧富の差は少なく、みんなほどほどに日本で幸せな社会を作ってきた。非常にモラルが高かったし、能力も磨いてきた。
たった一度第二次大戦で負けて、その敗北によって全て日本の過去を否定するような価値観が蔓延してしまったけれども、それはたかだかここ数十年の短い期間のことであって、今私たちはこの日本の生き方が何かおかしいと、若い人たちを見てもおかしい、国家のあり方を見てもおかしい、ということにみんな気づいているわけですから、やはりここでもう一度歴史の中から自信を取り戻す作業が必要なんだろうと思う。
それは日本のためだけではなく、チベットの人のためにもなり、ウイグル、モンゴルの人のためにもなるのであり、また中国で本当に弾圧されている、 さっき法輪功の話がでましたが、法輪功を始めとする中国で弾圧されている全ての人々、北朝鮮で苦しんでいる全ての人々のためにもなるんだと思います。
ですから、私が申し上げたいことは、チベットのために力を尽くすことは日本の歴史を振り返って、日本人が自信を取り戻すことと同義語なんだというふうな考え方をしてもいいのではないかと思います。
パネルディスカッション終了
自民党 衛藤晟一参議院議員
自民党 衛藤晟一参議院議員 |
今日はお話を聞かせていただき大変ありがとうございました。
私どももちょうどちょっと前にチベット、ウイグル、モンゴルの問題でシンポジウムをやらせていただきました。大変深い話を今日は聞かせていただきました。
私どもが一番悩んでいる問題というのは、非常に日本社会全体のモラルが下がっていて、足の引っ張り合いの状態を呈してきている。
その根本は何かというと、日本は自分に対して徹底的に自信を失ってしまったということにあるのではないかと思います。戦後六十数年たち、ぼちぼち目覚めて、本当に素晴らしい生き方をしよう、モラルを取り戻そう、自分の歴史を取り戻そうということをしない限り、大変なことになるんじゃないかなという感じがしています。
今、本当のことを発言できないようになってしまっている。
チベットの問題にしろ、ウイグル、モンゴル、東南アジアで起こっている中国を取りまく問題にしろ、いつの間にか何もしゃべれない、何も言えないような状況になってきている。ということは、日本が自信を失い、モラルを失い、堕落し過ぎて行っている状況なんだな、ということを改めて感じている次第であります。
そういう意味で、チベット問題で日本が本当に責任を感じて、大変な状況で、人間として、一緒に涙を流して、一緒にがんばろう、という人としての生き方の原点をもう一回取り戻しながら、やらなければならないんじゃないかな、という気持をもっている。
チベットの問題を一緒に考えさせていただき、また発言もさせていただき、行動もさせていただきたいと思っている次第であります。今日は誠にありがとうございました。
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チベット問題は日本の問題でもあると思う方
中国に隷属しようとする政治家を落選させたい方
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ダライ・ラマ法王の次兄ギャロ・トゥンドゥプ閣下
テーマ「チベットの現在・過去・未来」
通訳 委員会代表幹事ペマ・ギャルポ氏
ダライ・ラマ法王の次兄・ギャロ・トゥンドゥプ閣下(右)と通訳の政治学者ペマ・ギャルポ教授 |
足が悪く座らせていただきます。申し訳ございません。
紳士淑女の皆様、今回私は特に皆様にお会いするために、まいりました。
私が今回日本にきたのは、チベットのために100人委員会が発足されるということを聞きまして、老体ではありますが、参上いたしました。そしてみなさんに心から感謝を申し上げたいと思います。本当にありがとうございます。
なぜなら、私たちは、ダライラマ13世のときから、日本と繋がりがありました。1950年代以降も、ダライラマ法王は何度か訪日し、お世話になっております。
日本は距離的には遠い国ですが、我々チベット人は、日本は非常に重要な国で、極めて近い存在だと思っています。
なぜかというと、日本の皆様、国民は高い教養を持ち、中国のこと、アジアのことを、日本が一番よく知っているからです。
この五十数年間、残念ながら、いろいろと悲しい出来事が起きました。そのため、約10万人のチベット人が、1959年インドに難民として亡命しました。
ダライラマ法王のご指導のもとで、難民の子供に対する教育、高齢者の福祉、僧、尼僧たちのお寺や住居をなんとかして、まとめて束ねていく仕事を一緒にやってまいりました。
私どもはこの50年間の難民生活で、まず子供たちに教育を与えてきました。幸いにして多くの人たちが教育を受け、十分に期待に応えてくれています。同時にチベットの文化、宗教、伝統を維持し、それをさらに自分たちが研修するということに力を入れてまいりました。おかげさまでこういうことも何とかできています。
チベットにいようが、海外にいようが、全てのチベット人が共通して思っていることは、「正義はチベットにある」「私たちの方に真実がある」ということです。
1959年から79年までの20年間、チベット国内と国外のチベット人は接触することはできず、中国によって完全に閉鎖されておりました。中国政府が完全に国境を封鎖し、チベット人が中に入ることも、中から外へ出ることもできなくなりました。
その20年間、私たち海外にいるチベット人は、国内の人たちが本当はどうなっているのか、自分の兄弟や親がどういう風に生活しているのか、生きているのかどうかもわかりませんでした。中にいる人たちは、本当に自分の兄弟、夫、子供が外国に逃げることができたのか、生きているかどうかすらわからない状態でありました。
そして1979年、中国の指導者鄧小平が私を探しているということを、香港で知りました。鄧小平は、私に会いにきてほしい、ということでした。そのことをダライラマ法王に報告しましたところ、法王は、行った方がいい、行きなさいとおっしゃいましたので、私は法王の命を受けて、鄧小平に会いに中国に行きました。1979年、鄧小平と北京で会いました。
そのとき鄧小平は「過去のことは過去のこととして忘れましょう、私たちも非常に苦労したし、チベットの人たちも苦労している。私自身も刑務所に入りました」と言いました。そのまわりにいた人たちも刑務所に入ったと言っていました。これからは未来が大事であり、そのために、できるだけ近いうちにダライラマ法王に中国に来ていただき、チベットに帰っていただくことが非常に大事である、と彼はおっしゃいました。
チベットが中国から完全に独立する、ということを支持するのは極めて難しい、しかし、独立以外であれば何でも話し合う用意がある、ということを鄧小平は私に約束しました。
鄧小平は「この場で交渉に入りましょう、この場で私に要求を出してください」と言いました。そのとき、私は「私はあなたから招待を受けて、ダライラマ法王の許可をとって参ったのであって、決してあなたと交渉する権限をもってきたのではありません」ということを申し上げました。
「もちろん今日ここで閣下から伺ったすべてのことについて、私は帰ってからダライラマ法王に正確にご報告申し上げます」ということも約束しました。
しかし、私個人として、2,3のお願いがあります、ということを言いました。私からの第一の要望は個人的なものでありますが、過去20年間、海外にいるチベットの人たちは、自分の親兄弟親戚が国内で健在であるかどうか、生きているかどうか、ということがまったくわからないので、どうか国内と国外にいる人たちが、お互いに親族と再会する機会を与えてもらいたい、そして海外にいる人たちが親族に会いに行く、中にいる人たちが外に出る許可を出してほしい、ということを言いました。
家族の再開、それが私の第一の要望でした。
それに対して鄧小平は「この場で決めます。この場で私が指示を出して、国境を開き、外にいるチベット人が国内にいる親戚を訪問すること、国内の人たちが国外に行くこと、両方を許可するようにしましょう。私は今この場で指示を出します」と言いました。
二番目に、今、チベット国内では、学校でチベット語を教えられる先生がいない、学校では完全にチベット語を教えていない、ですから、海外にいるチベットの若者は、ダライラマ法王のもとで、幸いなことに、現在教員の資格をもっている人たちがたくさんいる、その若者たちの中から、学校の先生を国内に送りたい、そのことを認めてもらいたい、ということを要求しました。
それに対しても鄧小平は、「非常によいご提案です。何名送っていただけますか」と言いました。私は、最初のうちは2,30名、そして徐々に増やしていきたい、と言いましたが、鄧小平には「それは少なすぎる。どうせなら千人送ってください」と言われました。鄧小平は付け加えて、「確かに、チベットでは先生が足りない。いわゆる少数民族の学校でも先生が足りないので、できるだけたくさん送ってきてください」と言いました。
三番目として、パンチェンラマが文革前、文革中、そして現在もひどい扱いを受けている、ということを言いました。これは決して正当なことではないので、できるだけ早いうちにパンチェンラマの地位を回復し、パンチェンラマを正当に扱ってほしい、と言いました。
これに対しても鄧小平は、「確かにパンチェンラマは非常に苦労を味わいました。ただちにパンチェンラマに元の職、政治きょうしょ?副主席の地位を回復させます」と言いました。
その会話を通して、彼が私に言ったのは、「ダライラマ法王は非常に重要な方であり、一日も早く帰ってきてほしい」それと同時に、チベット問題に関して、「独立以外は何でも話す用意がある」ということを非常に強調されました。
そのときに私は「よくわかりました。今回おっしゃったことはすべて法王に報告します」と約束して、その後さらに約3週間北京に滞在して、帰りました。
帰ってから、すべてをダライラマ法王に報告しました。
これが一つのきっかけとなって、海外にいるチベット人が、国内にいる自分たちの親戚を訪問したり、国内からも海外の親戚を訪問することが始まりましたし、ダライラマ法王の代表団と北京政府の接触もここからはじまったわけです。
それから数年はダライラマ法王からもいくつかの代表団が派遣されましたし、民間のレベルでも国内から外に出る人もたくさんいましたし、外からもたくさん国内に入りました。
それ以来、ダライラマ法王の代表団と北京政府の対話、接触が今日まで続けられており、私自身もあの年から欠かさず今まで28年間北京政府と接触しております。
それはなぜかというと、今チベットにとって問題のある相手は中国政府であり、中国国民がそれを理解することが極めて重要であるからです。
この28年間、紆余曲折がありました。大変な困難もありました。しかし私たちは忍耐をもって今日も接触を続けています。
特に今年は大きな出来事がありました。今年の出来事によって様々な誤解も生じています。
中国側はダライラマ法王の白い帽子を黒く塗っています。
それは決して真実ではありません。
決してダライラマ法王は彼らが言っているようなことではなく、平和的に問題を解決するためにあらゆる努力を続けています。
もちろん海外にいるチベット人の多くはデモをしたり声をあげたりしています。中国政府の方は、私たちがオリンピックを破壊する、邪魔をするのではないか、と言っていますが、そのような気持も計画もまったくありません。
ダライラマ法王も私も北京五輪が正しく行われることを期待しています。
みなさんお忙しい方ですからあまり細かいことを言うのは止めますけれど、このチベット問題は非常に複雑だし、また難しいですが、今日こうやって新しい会を発足していただき、そしてみなさんがこうして集まってくれることが非常に重要であるという認識をもち、私はとても感謝しております。
なぜかというとまず一つは日本は、チベットはもちろん中央アジア、東アジアのことを一番よく知っているはずの国だからです。
アジアの中で中国のことチベットのこと、中央アジアのことを一番よく知っている国の一つが日本だと思っています。
こうやってみなさんが100人委員会に参加してくださり、きょうこのシンポジウムに来ていただいたわけですが、できるだけチベットにきていただき、インドにきてダライラマ法王に会っていただき、自分で真実を知っていただければ幸いです。
私たちチベット人は人口的には少ないです。ですから大した力もありません。また知恵も足りません。しかし、正義だけはチベット側にあります。
1945年当時、毛沢東が支配していた時代ですが、私は中国に留学し、今日まで60年間ずっと中国と接してきています。
もちろんアジアの国はすべて重要ですが、その中でも日本は非常に大きな役割をもっている重要な国だと思います。
アジアの平和と安定のために、日本はもっと積極的な関わりを持ち、中国とも積極的な関わりをもつことが大事だと思っています。
ですから私は直接みなさんにこの問題を訴え、ぜひともみなさんに私たちを支援し続けていただきたいということを申し上げに参りました。
本当にありがとうございました。
質問者1
遠いところからお越しいただきありがとうございました。
皆様人権の問題で非常に苦労されているということがよくわかりました。そして民族が痛めつけられている。今チベットで中国人が800万人でチベット人が600万人だと聞いております。中国は53の民族からなっているので、ソ連が崩壊したように、個人的にはそういうことが起きるのではないかと思っているのですが、このへんはいかがお思いですか。
また、胡錦涛さんはチベットで大活躍して出世コースに乗ったと聞いておりますが、あの国ですから虐殺があったのだと思いますが、非常に苦労があったのだと思いますが、言える範囲でお答えいただければありがたいと思います。
ギャロ・トゥンドゥプ閣下の回答
確かにチベットは人口は少ないですが、広大な土地をもっています。四川省、雲南省、青海省など、これらの地域で過去約50年間においてたくさんの中国人が入っていることは事実です。しかし具体的な人数については把握しておりません。
胡錦涛がチベットで大手を振って、それが認められて、今日の地位を手に入れたのではないか、という憶測については、私は違うと思います。たくさんの人たちを殺したり、たくさんの人を獄中に入れたけれども、それは上から命令がなければ、彼であってもできるような社会ではありません。
私は胡錦涛と会ったことがあります。鄧小平が生きているときに、鄧小平から「一回胡錦涛と会ってくれ。その人物評を自分に聞かせてほしい」と言われて、会いました。私は4時間ぐらい胡錦涛と話をしました。そのとき彼はまだ中央政府の役職にはありませんでした。
そのすぐ後に、鄧小平から密使が来て、私に、あなたの胡錦涛の感想はどうだったか、と聞かれました。そのとき私が使いに、「鄧小平に申し上げてください。もし胡錦涛のような人間があと数十名いたら、中国の問題はかなり片付くのではないか」ということを言いました。
ソ連で起きたようなことが中国でも起きるのではないか、ということについては、私は予言者ではないので、ここではお答えできません。
ただ逆にいうと、この21世紀は科学の時代と言われておりますが、瞬時に物事が変わってきておりますので、何が起きるかまったくわからないです。
質問者2
私は20年ぐらい前からチベットの歴史や文化に関心をもっているが、チベットの国内でここ半世紀において、中国共産党支配によって、吐蕃王国の時代からの古い歴史、文化、信仰などについての民族意識的なものがなくなってきているのではないか、と危惧している。欧米、日本でチベットの人権問題、自治問題に積極的に応援していってもチベットの中の人がそういう意識をもたないと、なかなか共産党に対抗しうる自治を成立させるのが難しいのではないか。私も一回チベットに行ったが、ラサとシガツェしか行ってない。地方がどうなっているかということもわからない。パンチェンラマも共産党系になっているが、そういう指導する人がいるのか、民族意識はどうなっているのか。ただ生活が苦しいとか弾圧されているので運動するだけでなくて、チベット民族としての民族意識、歴史認識の大切さをどの程度チベット人たちが思っているか。
ギャロ・トゥンドゥプ閣下の回答
チベットに何度かいらっしゃっていただいて、もうちょっとチベットのことを深く見ていただければ、あなたのお考えが変わると思います。もちろんチベットでも大きな変革が起きております。
確かに変化の中においては、空港ができたり、鉄道ができたり、道路ができたりしています。私が7才半のときに生まれたアムドからラサまで行きましたが、3カ月かかりました。
そのような変化の中で、一部考え方が変わってきているのは事実でしょう。
チベット人はあまり多く語らない民族です。心のあるものはそう簡単にしゃべりません。チベットに一回来て、民族意識がないと思ったら、それは間違いです。何度か行ってみてください。
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チベット問題は日本の問題でもあると思う方
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チベット自由人権日本100人委員会 発足記念シンポジウムに行ってきました。
日時:7月30日(水) 午後6時30分 ~8時40分
場所:永田町 憲政記念館
感想は最後に書きます。とても重要な発言がいくつもありました。早速文字起こしした参加者の発言を以下に。
自民党 中川昭一議員
自民党 中川昭一衆議院議員 |
中川でこざいます。
日本には人の噂は75日ということわざがある。
これはいい意味でも悪い意味でも使われる。噂ではないが、日本人は私も含めて、一時期非常に関心をもったり、憤ったり、悲しんだりしたことを、時間が経つと忘れがちである。報道されないから忘れてしまうということもある。
しかし、今日お集まりのみなさんや我々は、どんなに報道の頻度が下がっても、どんなに月日が経とうとも、忘れてはならないことがある、と思っている。
たとえば毒入り餃子事件。殺人未遂事件として捜査中の問題は、今日どこかの新聞に、もう半年経ち、なんとなく風化ている、みたいな記事が出ていたが、これは絶対忘れてはならない問題である。また拉致事件もそうである。
我々日本人と同じように、 文化、伝統をもち、平和に暮らしていた人たちが、長年 大変苦しい思いをしている。そして、最近とみに弾圧をされている隣人が大勢いらっしゃる。そのことが一時期ずいぶん報道されたが、最近はどちらかというと、いやオリンピックだ、何とかだ、ということで、報道されなくなってくると、我々の思いは薄くなってくる。
しかしチベット問題というのは我々は絶対忘れてはならないということを、今日専門家の皆様のシンポジウムを通じて理解する必要がある。
これは単に外国の人が可哀想な目にあっている、ということではない。これは他人事ではない。隣人の問題であると同時に自分自身の問題として、忘れてはならない、と思っている。
私も期待しているが、オリンピックがどんなにすばらしいスポーツの祭典だとしても、それはそれ、これはこれ、と考えなければならない。
皆様方の怒りや気持ちがあってこそ、我々政治家は活動ができる。我々に対して、これからも変わりないご支援をいただくことで、この問題に対して政治レベルで取り組むことができる。その最大のお力は皆様方の声である。
最後に、今日は多くの議員がきているが、皆様方に、今日のシンポジウムを通じて、我々をご指導いただきたい。そして、一刻も早くこの問題をまともな形で、解決したい。それを実現するためにがんばっていきたいと思いますので、ご参加いただいた皆様方、どうかよろしくお願いいたします。ありがとうございます。
民主党 松原仁議員
民主党 松原仁衆議院議員 |
人間社会というのは様々な普遍的な概念も、様々なその時代の主導概念も、伝染していくものだと思う。たとえば自由という我々が尊重している考え方、民主主義という我々が最も尊重すべき政治のあり方、それは地球上のある地域で発生したものであるが、よりよいものであったが故に、民主主義や、自由や人権という考え方は全世界に伝搬をしている。全世界にそういった想いが伝わって、そのことを、すべての国民が、尊重しよう、というふうになっている。
私が今日申し上げたいのは、すばらしい人権、すばらしい民主主義という概念が伝搬するように、逆の誤った概念も伝搬する、ということだ。すなわち、チベットにおける人権の抑圧、チベットにおける民族自決の否定というものが、どこかの大国によって行われるのならば、そういったマイナスの影響もプラスの影響と同じように、伝搬する。
今、中川昭一先生が「他人事ではない」と仰ったのは、まさに、マイナスの事柄も、プラスの事柄と同じように伝搬するからだ。ゆえに、私たちはチベットにおける人権の問題、自治の問題、そういったものに無関心であってはならない、というのが、人権大国であり、民主主義大国である日本の使命であると私は思う。
その意味において、きょうたくさんの方々がチベットの問題、人権の問題、まさに人類普遍のテーマをかざして集まっていらっしゃった。オリンピックがもうすぐ始まるが、オリンピックというのは、私は、人権、平和、平等、といったものを具現するスポーツの祭典だと思っている。だから我々は五輪をやるなら、チベットの人権問題、他の多くの少数民族に対する考え方を変えなさい、という主張を強く発信していかなければならない。
心あるみなさんとともに、チベットを通し、世界の人権、世界で抑圧されている社会を改革するための大きな導火線になることを祈念しながら、私も一人の同志として、仲間として戦うことをお誓い申し上げて、私の挨拶といたします。本当に今日はおめでとうございました。
出席した国会議員の紹介。
*印の議員は紹介時にまだ到着されていなかった方
自民党 戸井田徹
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%B8%E4%BA%95%E7%94%B0%E5%BE%B9
自民党 山谷絵里子
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E8%B0%B7%E3%81%88%E3%82%8A%E5%AD%90
自民党 衛藤晟一
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%9B%E8%97%A4%E6%99%9F%E4%B8%80
民主党 長島昭久 *
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%95%B7%E5%B3%B6%E6%98%AD%E4%B9%85
民主党 渡辺 周
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E5%91%A8
民主党 鷲尾 英一郎 *
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B7%B2%E5%B0%BE%E8%8B%B1%E4%B8%80%E9%83%8E
国民新党 亀井静香の代理
世界ウイグル会議日本代表
イリハム・マハムティ氏
世界ウイグル会議日本代表 イリハム・マハムティ氏 |
100人委員会発足おめでとうございます。
我々もチベットと同じように、長い間弾圧を受けてきた。最近我々も注目されるようになったのは、チベットの英雄たちが行動してくれたからだ。
私たちもチベットと同じように、60年間苦しんできた。みなさんと同じように、日本のような国で生活することが、私たちの理想だ。でも残念ながら、同じ地球に住んでいるのに、私たちは自分の主張さえできない。そういう環境の中で生活してきた。
私たちは、日本という国は、経済大国というだけではなく、民主大国としてもこのアジアでその役割を果たしてほしいと思っている。
我々のリーダーであるラビア・カーディルさんが刑務所の中で次のように叫んだ※。
「なぜ日本人はここまできてくれなかったのか!」
「なぜ我々は日本の植民地になれなかったのか!」
彼女の声は、我々ウイグル人の声だ。
もし日本の植民地になっていたら、自由で民主的な環境で生活していたかもしれないからだ。
私は、日本の皆様に、共に努力して、日本がアジアの民主化で重要な役割を果してほしいと願っています。
どうぞ皆様よろしくお願いいたします。ありがとうございました。
※ラビア・カーディル氏の正確な発言
http://www.geocities.jp/kokok0512/shokun_3.htm
(もし私たちが中国ではなくロシアやイギリスに侵略されたとしたら、東トルキスタンの地はまた違う姿だったろう。中国と戦った日本人はなぜ、私たちの所にまで来なかったのか。彼らが来たら、私たちの運命は今とは変わっただろう。)
スピーチ予定のモンゴル人民党の方は欠席
委員会最高顧問 加瀬英明氏
外交評論家で委員会最高顧問の加瀬英明氏 |
今日はチベット自由人権100人委員会を日本で立ち上げるその発会式に、大勢の皆様がご参加くださいましたことを心から御礼申し上げます。
今日はダライラマ法王猊下の実のお兄様でいらっしゃいますギャロ・ドゥンドゥプ閣下が、このために一昨日インドからお見えくださっています。あとでお話を伺うことになっています。
また先ほどは東トルキスタンの代表の方がお話しくださいました。南モンゴルの方もこれからお見えになることになっています。
チベットは独立国であって、中国の一部ではないという証をひとつだけ申し上げる。1950年に中国の人民解放軍がチベットに侵入し、その武力の威嚇でチベット政府と中華人民共和国の間に17箇条の協定が結ばれた。これは武力による威嚇のもとに行われたものである。その中に、チベットは中国に外交権と国防権を委ねる、しかし、それ以外はチベット人にすべてを委ねる、という内容がある。要するにチベットの高度自治を認めたことになる。しかし考えてみると、中国は自国の漢民族にも高度な自治を認めていないから、どうして、占領したところで高度な自治を認めるようなことがあろうか。しかし、外交権と国防権を奪った、ということは、それまでチベットは中国の一部ではなかった、ということの証である。
そして中国はチベットにおいて大虐殺を行った。チベットから大量の難民が出た。今日でも毎月数百人のチベットの若者がインドを目指して、 ヒマラヤを越えてきている。その途中で多くの若者が中国軍に射殺され、血を流している。
大量の脱出が続く、というのはヨーロッパでは東ドイツがそうだった。東ドイツから50万人60万人70万人と西ドイツに脱出するので、1961年に東ドイツ政府はベルリンの壁を築いた。
1963年、若きジョン・F.ケネディーがベルリンを訪問し、 壁の西側に演壇をつくって、東ベルリンを覗きながら、民主と自由、人権を訴える演説を行った。そのときケネディー大統領は、"Ich bin ein Berliner."、「私は一人のベルリン市民だ」と言った。全世界の自由な人々は、ベルリンの市民であるべきだ、ということを訴えた。
チベットが解放されない限り、私たちは心を安んずることができない。
その意味で、私たちは一人一人がチベット人である、と言っていい。
ワシントンに本部を置く"International Campaign for Tibet"チベット国際救援委員会とでもいうのでしょうか、そういう国際的な組織がある。アメリカの高名な映画俳優、リチャード・ギアもそのメンバー。 世界中から多くの方、ノーベル賞を受賞した学者なども名前を連ねている。私もその一人として、チベットの“独立”を支援してきた。そういうわけで、風邪で休まれた小田村先生に代わってみなさんにご挨拶することになった。
アメリカでは、チベット自由人権100人委員会が発足している。ドイツでもすぐに同じ委員会が発足することになっている。次々と世界中で100人委員会を立ち上げていく中で、日本でもこうして100人委員会を結成することになった。すでに100人を超しているが、これは俗称なので、500人、千人、1万人になっても、100人委員会という呼称を国際的な連帯のために続けていこうと思っている。
我々としては、できればまず地方議会から、我々のチベット解放へ向けた運動を支持する決議を行っていただきたい。今日も多くの地方議員がお見えになっている。地方自治体の長もお見えになっていると思う。
チベットだけでなく、東トルキスタン、南モンゴルも中国の一部ではない。満州も中国の一部ではない。
中国は世界最後の植民地帝国。20世紀の歴史は、大帝国の解体の歴史だった。第一次大戦で敗れたドイツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国、オスマン・トルコ帝国、第二次世界大戦では、わが日本帝国をはじめ、大英帝国、イタリア、フランス、ベルギー、オランダを始めとする帝国が解体。ベルリンの壁が崩壊したとき、ソ連帝国も解体した。今日最後に残っている植民地帝国が中華人民共和国。中華人民共和国が崩壊しない限り、アジアにおける平和を実現できない。今日はみなさんとともに、チベットの民族自決にむけて、日本人としてできるだけの力を尽くし、戦いを始めたいと思う。
日本の岩手県の作家、宮沢賢治は、「みんなが幸せにならなければ、私は幸せにならない」と言った。チベットを始めとする、抑圧され、人権を奪われた人たちが解放されない限りは、私たちは、幸せという言葉を使ってはならないと思う。
みなさん、ぜひ100人委員会の輪を大きく広げて、日本が再びアジアの開放のために、戦ったということを、子々孫々に伝えていきたいと思う。
今日は本当に会場をいっぱいにするほどお集まりいただき、御礼申し上げます。ありがとうございました。
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石濱裕美子氏への質問
Q。チベット政府があのときこういうことをやっていれば中国に併合されることはなかった、というようなターニングポイントはあったのでしょうか?
A。1913年から51年までチベットは事実上独立の時代にあった。だからあの間に、ちゃんと国家としての承認を第三者に求めるという努力を何らかの形でしていれば、あれほど無惨な形で国を奪われるということはなかったと思う。これについてはダライラマの最初の自伝『チベットわが祖国』に「自分のものである国を自分のものであると証明することなんで誰も思いつかなかった」と書いてあるが、そういうところをご覧になっていただければおわかりいただけると思う。
Q。封建身分制度はあったのでしょうか?
A.あったと思います。貴族がいてお坊さんがいて、高僧からお茶くみ僧までいろいろいた。それは日本においても徳川時代に武士の身分があったり、大名の身分があったりするのと同じで、そういうようなもののチベット版があった。多分裏に含まれている質問の意味は、いわゆる虐待は行われていたのか、ということだと思うが、封建制度におけるいろんな刑罰とか習俗というのは今から見ると非人道的なものが多い。そういうものはチベットに実際あったと思います。喧伝されているとおりのものかどうかはわかりません。日本のさらし首とか竹で首を切るような刑罰を今になってからあれこれいうのと同じで、あまり意味のないことではないかと思う。
Q.現在のラサ市内は昔の面影をほとんどなくしたような状態ですか。
A.何を基準にするかですが、ポタラ宮の職人村も歴史的建造物だったのに、世界遺産に認定されると現状を変えられなくなるので、ドコドコ壊された。特に94年にトゥルナン寺とポタラ宮が世界遺産になる直前は、特に破壊された。もっと破壊された場所もあることを考えると、まだラサの旧市街は多少は面影を残しているのではないかと思う。しかしそれもどんどん変わってきている。
Q。中国が認定したパンチェンラマしか表に出ない状態でダライラマ15世はどのように選ばれると思いますか。
A.ダライラマ14世は、中国が統治しているチベットには生まれないと言明している。間違いなく外国でお生まれになる。インドかどうかはわからないが。そういった場合、伝統的な転生の探し方によると、別にパンチェンラマだけに限らず、生前のダライラマ14世の側近の方たちがいろんな形で選ぶし、シャーマンにお伺いもたてるし、複数の状況を総合して決める。何もパンチェンラマの意見ですべてが決まってきたわけでもない。どちらにせよ中国外で生まれるので、中国政府が仮に別の15世を作ったとしても、現在のパンチェンラマ同様、たぶんあまり力は持ち得ないと思う。
Q.歴代清朝皇帝とチベットの関係について。乾隆帝。18世紀に現れた満州王朝清朝最盛期の皇帝は確かにチベット仏教を信仰されたが、政治的な意図があるのではないか。
A.一人の人間がチベットとどういうように関わってきたのか、乾隆帝のように即位が長い場合には一概には言えない。即位したての頃の、熱烈にチベット仏教に恋している時期もあれば、いろいろな政治的悶着が起きて冷めるときも、いろいろある。グルカ戦争が終わった後は極めて現実的な気持になって、お金もかかったしチベットにはずいぶん振り回されたという意識が乾隆帝にもあった。雍和宮(ようわきゅう)に立てた碑文には、私がこれだけチベット仏教にてこ入れするのは、モンゴルとの同盟を考えてのことである、という現実的な言葉が並んでいる。しかしそれは最晩年のこと。それ以前の彼の発言、行動は完全に宗教者のもので、宗教と政治が同じ目的に集約していたので、彼にとってはチベット仏教を信仰することが安寧につながっていたので、政治と宗教は共存していた。
Q.中国がチベットに執着する理由は?
A.これは中国政府に聞いてみないとわからないが、俗に言われているのは次の三点、
・人口が非常に多いので領土を失うことは避けたい
・資源
・民族問題的にチベットが仮に分離独立したらウイグル、南モンゴルなど他にも中国から離脱を望んでいる民族がいることを考えると、ああいう姿勢を取らざるを得ない。
野田雅也氏への質問
Q.四川大地震のチベットでの影響はどうでしたか。
A.質問の中でこれが多かった。
今回私は成都のほうから被災地に入り、実際に被災現場の状況を見てきた。
被災地は南北に延びているが、さかのぼりながら、様子をみながらチベットに入った。
チベット高原と成都は落差があるがそのつなぎ目のところでドンとはじけたような感じで、岩盤が固いチベットのほうは、ほとんど影響がなかったと言われている。私もその辺に行って確認してきた。実際のチベット人居住区ではほとんど被害はなかった。
私は偉いなと思ったが、成都ではチベット人の若者たちが、被災地でボランティア活動を結構やっていた。3月にこういうことがあって、学校の中でもチベット人と漢民族の仲違いができてしまって、チベット人が何かやることで認めてもらおうと、有志が5人ぐらい集まって、被災地に入っていた。彼らの話では、カム、アムドから出稼ぎにいこうと成都行きのバスに乗ったグループがいる。その方たちのバスが被害にあっている。
被災地に入って私も非常に驚いた。コウエンからモンセン、さらにずっと上の方まで被害が広がっている。
Q.3月の騒乱の犠牲者の数は?
A.中国の発表では19人。チベット亡命政府は209人。3月14日に一般のチベット人が石をもって一斉暴徒化してしまう。非暴力とはいえないので私は批判したい。日本人旅行者にも聞いたが、チベット人が石を投げて、肉切り包丁の大きなナタを使って漢人の車を襲ったり、バイクを襲ったりしていた。確かにああいう状況になったら人間はどういう行動をとるか、抑制が利かなかったのだと思う。
しかしその日の夕方、6時ぐらいから、軍が入ってくる。このとき発砲命令が出る。そのときの状況を4、5人から聞いたがひどい状況だった。
装甲車がひっきりなしにとおって、10~50台が常に街の中を巡回していた。道を通るときに、チベット人の道沿いの住居に機関砲を乱射しながら走る。装甲車が住居に突入して銃撃したという例もある。
目撃した日本人も驚いていたが、爆発音がすごかった。たぶん手榴弾の音。あちこちで爆発音がしていた。装甲車の乱射も爆発音も15日の朝までひっきりなしに続いた。
私がネパールのカトマンズにいたときに、ラサから目撃者が逃げてきた。彼がいうには、15日の朝の時点で、ジョカン寺の前に死体の山ができていた。
他の人の証言でも14日は死体を越えながら逃げたとか、弾の中を逃げて、多くの死体を見た、という証言はかなり出ている。一晩で死体の山ができるほどです。
それはラサの話だが、他の街でもおこっている。アパでも被害者の写真が出た。それまで被害がどういう状況か一切わからなかった。アパの地元の人が携帯で撮影して亡命政府に写真を送り、世界に流れて初めて、被害が出ているということがわかった。
そのときも中国政府は軍隊を使っていない、発砲はしていないと主張していた。だが、その写真が大きな証拠となった。
私も今回、亡くなった方は大勢いると思う。それ以上に心配なのは拘束された方々。本来なら葬式をするのだが、今回の犠牲者の葬式はまだ誰も行われていない。それが心残りだと言っていた。葬式をやると中国の発砲等で死んだ証拠となる。それで葬式をやらせてもらえない。
今回拘束された人たちについてはいろんな証言がある。ラサの中では、ラサ駅は全体が収容所になった。空港もすべて収容所になった。チベット鉄道が、貨物列車、遺体列車、拘束列車となって、中国各地に囚人たちを運んでいったという話があった。誰もどこにいったかわからない。家族たちも自分の息子たちがどこにいったか知らされていない。
ただ悲痛な毎日を過ごしているだけ。
何も証拠がありません。私もすべて伝聞で聞いたものばかり。何人亡くなったか断言できない。
Q.チベット本土にいるチベット人はダライラマを指導的存在と見ているのでしょうか?
A.チベットに600万人いたら、598万人、599万人はダライラマを心から尊敬していると思う。自分の親よりも尊敬しているということはいろんな人から聞いた。
ただし中国の経済的影響によって確かにそうではないチベット人も出てきていることは確か。漢民族みたいになっている人もいる。だからダライラマを尊敬しているのは、600万のうち599万9000人ぐらいだと思う。
Q.チベット青年会議について。
A.最近中国政府は、彼らのことをテロリストと呼んでいるが、彼らは誰一人殺していないし、私もたくさん友人がいる。彼らが過激派かというと、私はそうじゃないと思っている。インドの亡命政府はすごく民主的な社会だが、その中でもちろん独立をもとめる人も出てくるし、ダライラマもそのことは十分承知している。チベットが高度な自治を選んでいるのは、国民投票ではないが、難民投票を実施して、投票で選んでいる。多くの人が独立より自治を選んだ。その中でも独立派というのは出てくると思う。でも彼らはどれくらいのビジョンをもって独立といっているのか、私も疑問に思っている。
チベット北部、ココノル湖での原爆、水爆実験の映像
ウイグルのタクラマカン砂漠でも核実験が行われており、合わせて46回行われている。
最後の核実験から20数年経っている。
昔は被害が出ていたという話は聞く。
核の被害がどうかわからないが、周囲でチベット人が放牧しているが羊の歯が抜けているという報告を聞いた。通常寿命は6年だが、長生きしても4年だった。地元の人が青海省政府に調査を依頼し、青海省政府が北京政府に陳情し、北京から研究者たちが来て、土、水のサンプルを採り、結果を伝えた。核施設から4km下流に錫の工場があり、その廃液が羊の病気の原因ではないかということで、正確な情報はない。
チベット人、地元の人は核のことは何も知らない。放射能という言葉も知らない。私がそのことを話すと、そんな嘘を、と言われるが、だからなかなか被害状況はわかりにくい。
錫工場が原因かということも疑問ではある。
野町和嘉氏への質問
Q.チベットの風土と信仰の関連性について
A.鳥葬の写真があったが、これにチベットのいろんな要素あるんじゃないかと思う。高度4000mなので火葬にしようにも薪がない。土葬にしようにも半永久凍土。鳥に食べていただいて、次の命のために、魂が抜けた後の体を提供する。
彼らはハエも殺さない。市場で私にたかったハエを叩くとにらまれる。あの高度なので、乾いているし、病原菌がはびこる環境でもない。高度4000mは異質の世界。その異質の世界に惹かれた。ブータンは稲作をやっているが、そことも違う。
チベット仏教のカルマの話。私が感動したのは、亡命チベット人の尼さんの話。彼女は凄まじい拷問を受けている。私をあれだけ痛めつけた中国人たちが来世に背負っていかなければならないカルマのことを思うと、あの人たちが可哀想でしかたがない。
これはチベット仏教の信仰の深い部分だと思う。
渡辺一枝氏への質問
先ほど言い忘れたことをまず。野町さんが紹介した写真集に、チベットがひどい農奴制度にあったのを中国が解放した、とあった。私はかつて荘園で働いていたチベット人から話をきいたことがある。私たちは農奴というと、牛馬のように働かされて、食べ物もろくになくて、というものを思い描く。そのチベット人の話では、ぜんぜんそういうことはなく、衣食住は保証されていて、女性が生理でつらいときは畑仕事をしなくてよかった。
Q.定住をしなければならない遊牧民は現在どのように生計を立てているのでしょうか?
A.いろんな人がいると思うが、生計を立てられない人がかなりいる。チャムドで村ごと引越しさせられ、あちこちに強制移住させられた。伝統のある場所から切り離されて、動物を放つ草地もない。ひどい荒れ地に移された。生計が立てられないから、気持がすさみ、先住者といざこざが起きる。学校で、子供のケンカでケガの補償金を要求したりする。
政府の影の目的はチベット人同士でいさかいを起こさせる、ということがあるんではないか。いさかいを起こすと拘束もできる。
強制移住させるのは、そこにおいしいものがあるからじゃないか。チベット人がもともと住んでいたところは、人が住みやすい場所に違いないから、漢民族を移住させようとしているとチベット人が言っていた。かつて日本が満州でそういうことをした。
Q.オリンピック後中国はどのような方向を辿るのでしょうか? 軍事、自然破壊、人権軽視といった負の面ばかりをみると、第2のアメリカのようになるようにもおもえますが、いかがでしょうか?
A.私もどうかそうじゃないようになってほしいと思っているが、私自身中国政府のやり方はほんとにけしからんと思っている。かといって中国人が嫌いというわけではない。残留孤児の取材をして、もし同じ状況が日本であったら日本人は育てただろうか、と戦争中の学童疎開で田舎の人のことを考えるとそう思う。中国人の心の深さを感じる。
チベット本土のチベット人たちも、中国人がとにかく嫌いというわけではない。ほんとのところは中国人にはいてほしくないが、チベット人が昼食を食べようとチベット人の店に入ろうとすると、清潔ではない。働いているチベット人もやる気がない。でも中国人のレストランはきれいにしていて、中国人は一生懸命働いている。自分はチベット人だけれど、中国人のああいう面は見習わなければならないと思ってます、というチベット人もいる。
チベットでチベット人と一緒に歩いているとき、中国人の若い兵隊が腕に若い女を絡ませて、銃で犬を狙った。恋人ではなく、商売女だが、その女が制止した。すると兵隊は銃を鳥に向けた。それを見て、私はこんちくしょうと思って兵隊のところに行こうとしたら、チベット人に「やめなさいよ、あの中国人は可哀想な奴だと思わないか。あんたがあんな奴のために自分の平和な心を乱してどうするんだよ。あいつのために祈ってやれよ」と言われた。
チベット人たちと一緒にいると、中国人だから嫌い、中国人の国だから変な風になってほしいと思っていなくて、私も、どうかオリンピックが終わって、中国が中から真に目覚めて、変わっていってほしい、という願いをもっているが、もしかしたら、第2のアメリカのようになっちゃうのかなぁ、とそのことを恐れています。
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感想
3時間半の講演だったが、聞きたかった情報がいくつもあったので行ったかいがあった。
石濱先生の講演は、特に凝縮されていて、話し言葉が文章としてもかなり正確なので文字おこしがしやすかった。
石濱先生への質問に対する答えの「ちゃんと国家としての承認を第三者に求めるという努力を何らかの形でしていれば、あれほど無惨な形で国を奪われるということはなかった」というのは、今の竹島、尖閣諸島や東シナ海のガス田の問題にも通じると思う。北方領土については、比較的日本は強く主張してきた方だが(それでも手ぬるいとは思うが)、竹島や尖閣諸島(ガス田)は、中国と韓国の対立を避けて、相手が何か主張したときに、その場で強く抗議せず、友好を強調しすぎてきた。そのことが将来に禍根を残す可能性が大いにある。もし日本の領土だと思っているのなら、なぜあのとき中国韓国の主張に抗議しなかったのだ、と国際社会に日本の主張が受け入れられない可能性がある。チベット問題を見て分かるように、国際社会は正義だけでは動かない。利害で大きく動く。また慰安婦問題でわかるように、国際社会は、大声を張り上げ続ける者の嘘を信じることもある。
フォトジャーナリストの野田氏は、若い方で、口調も淡々としておられるが、やっていることを見ると、とても根性の座った方。マスコミでは流れない、貴重な現地の様子、現場の声を伝えてくれたことに感謝。
チベット側の地震の被害はたいしたことはなかった、というのは、ペマ・ギャルポさんも雑誌の対談で同様のことを話していた。でも、先日の竹内正右氏チベット現場報告では、震源付近には労働改造所がたくさんあり、そこでかなりのチベット人が犠牲になっているようなことをおっしゃっていた。
青海湖(ココノル)付近で核実験が行われていたというお話があった。核施設や放射性物質の投棄の話はダライラマ法王事務所のサイトにもあったが、核実験の話はなかったので、ロプノールの間違いではないでしょうか。
http://www.johnstonsarchive.net/nuclear/tests/PRC-ntests1.html
のページでも中国の核実験の場所はすべてロプノール(LN)となっています。
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千葉県在住